初めての方も、そうでない方も、こんにちは。
辰井聡子といいます。
以前は大学で法学を教えていましたが、2021年(実質的には2019年)に大学を辞め、ひとりで社会についての研究をはじめました。研究に関連して、このウェブサイトのほか、姉妹サイト「エマニュエル・トッド入門講座」を運営しています。
ウェブサイトをご覧になった方から「なぜそのような活動をしているのか」と問われると、少し困ります。しかし、私自身も「なぜ‥」と思うことがあるので、納得の行く答えを探ってみようと思います。
なぜひとりで研究をしているのか
社会について研究する人の動機は、大きく分けると、以下の二つのどちらか(あるいは両方)であることが多いと思います。
1️⃣正義の追究(「社会をよくしたい」)
2️⃣好奇心の追究(「面白いから」)
*ほかに「社会的成功のため(「学者として名をあげる」「人気者になる」)」というのもあると思いますが、ここでは考慮しません。
自分にもこのような動機が全くないとはいいませんが、少なくとも現在の自分にとって、1️⃣、2️⃣は主ではありません。それでも、私が「やむにやまれず」という感じで研究をしてきたことは、間違いない。
「なんでかなあ‥」
*カギかっこ内は、私の素直な心の声です。以下同じ
自分として、一応、納得できる答えは、「自由であるために、仕方なく始めた」というものです。
自由ねえ。誰だって自由っていいますよね。
自由って、何でしょう。
この社会の中で、言いたいことが言える、好きなことができる、欲しいものが手に入る。それもまた自由かもしれません。
でも、この、どうにもややこしい世の中で、その仕組みもわからないのに、わかったような顔をして、「あーだ」「こーだ」「こうあるべきだ」と、好きなように発言し、好きなように行動したからって、それで、自分の人生を、自由に生きているといえるだろうか。
地続きの世界の中で、戦争とか虐殺とか、結構なことが日常的に起きていて、なぜだか世界はそれを止めないし、自分も手の出しようはない。それでも、「あーだ」「こーだ」「こうあるべきだ」なんていって、満足していられるだろうか。
「そんなの、ゲームの中で遊んでいるようなものだよなあ・・」
少し極端な比喩ですが、特殊な機械があって、脳に接続すると、薔薇色の(あるいはそれぞれの好みに合った理想の)世界の中を、思う存分、自由に生きている、と信じたまま、一生を終えることができる、とします。
そのような人生を生きたいか、否か。
意見の分かれるところかもしれませんが、私は迷わず「否」派です。
「だって、そんなの自分の人生じゃねーじゃん」
そして、何が何だかわからなくても、目を閉じて、社会に適応して生きていく。その人生は、機械に繋がれた人生と、そんなに違わないんじゃないか、とも感じてしまうのです。
教員人生の終盤、私はずっとモヤモヤしていました。
「あーだ」「こーだ」「こうあるべきだ」と発言できる立場にはなった。でも、おかしいな。どうも、このあたまの中の世界は、現実の世界とちゃんとつながっていないみたいだ。
*「あたまの中の世界」は、自分や、大学やメディアなどの一応そこそこ知的とされる世間が共有する世界像のことを指しています。
自分の目で耳で手で足でこの世界を捉えたい。社会のことがわかりたい。それで学者になったのに、このままでは、全然、真実に近づけそうにないじゃないか。
それで、仕方なく(制度的な)学問の世界を離れ、ひとりで研究をすることになったのです。
わかったけど、どうする?
そんなこんなで、研究を始め、約5年が経ちました。それでどうなったかというと‥‥
一言でいうと、すべてわかりました。まさかここまで、いろいろなことがわかるとは思わなかった。そのくらい、わかりました。
いえ、もちろん、知らないことはいくらでもありますが、自分が知りたかったことや、「ここがこの世界の肝」ということについては、大筋で、わかっちゃった。
わかっちゃって、知ったことは、やはり、「あたまの中の世界」は、現実の世界とは、全然、違う。両者の乖離ぶりは、当初の予想をはるかに超えていて、ほとんど別の世界、裏返しの世界、といってもよいほどでした。
*ウクライナ戦争も衝撃的だったし、ドル覇権(アメリカ)も驚いたけど、決定打はこの1年の研究(トッド後の近代史)でした。
さて、問題はここからです。
「まじか・・」としみじみした後、「で、どうしようかな」と考えます。
私が「わかっちゃった」事実は、近代以降の学問が拠って立つ、その基盤を掘り崩すようなものでもあるので、どう考えても、(制度的な)学問の世界に居場所はないだろう。
その上、私が「わかった」ことの中でも、とりわけ重要なものの一つは、「わかったからって、社会を変えるためにできることはほとんどない」。
「みんなで社会をよくしようぜー」といって颯爽と言論界にデビューする、という道も、ありそうにない。
「面白いよ!」という方向はどうだろうか。面白い、とは思う。でも、明らかに「取り扱い注意」であるものたちを、うかうかエンタメに供するのは気が引ける。
一方で、私にとって、これらを知ることがどうしても必要であったように、これらを必要としている人がいるだろう、とも思うのです。
私の「わかった」ことを、同じように「わかる」ことで、より健やかに、前向きに、のびのびと生きていける、という人たちが。
年齢や国籍を様々にするであろう、その人たちには、ぜひ、このじじつたちを届けたい。
*そのような人たちと「わかった」ことをきちんと共有できて、健やかに腹の座った人が増えたら、世界(宇宙です)は少しよくなる。それは、私にとっての、大いなる希望です。
というわけで、この先も、地道に、しかし、少しは間口を広げていく方向で、活動を続けたいと思います。
どうぞ、お楽しみに。
肩書き
さて、「もうちょっと、外に出ていこうかな」というときに、必要になるのが肩書きです。
大学を辞めた後、どうしても必要な場合は「研究者」と称してお茶を濁していましたが、多少迷った末、今年から(必要な場合には)「独立研究者」の肩書きを用いることにしました。
「独立研究者」の肩書きは、辞職直後から候補には上がっていましたが、使用には躊躇がありました。
「独立はいいけど、何の研究者?」と思ったからです。
私は、法学者としては、プロの研究者を名乗れるだけの実績がありました。「法学の独立研究者」なら理屈は通るでしょう。
しかし、まったく新しく、法学ではないことを始めようというのだから、何をかいわんや。この時点で「独立研究者」を名乗っても、明らかに「自称」です。
*英語で “independent researcher”ならどうってことはないのですが、日本語で「独立研究者」ってちょっと仰々しい。それが「自称」なんてねー、カッコ悪いでしょう?
でも、この5年間で、私は、新たに別の分野で博士論文を書くくらいの仕事はしたと思う。
それに、社会に関して、真実を掴むには、大学とも、専門分野とも距離を置いて、社会のすみっこで、ひとりで研究をする以外にない。このことにも、確信が持てました。
その意味で、独立研究者、というのは、今の自分には相応しい肩書きだと思っています。
とはいえ、私にとって、研究者であること(というか研究すること)は手段であって目的ではありません。
「やむにやまれぬ」研究が一段落したいま、研究は私の主な仕事ではなくなっていくような気もしますが、ひとまず、しばらくは「独立研究者」で行くことにさせていただきます。