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アメリカ II(1)
ー権威なき帝国の謎ー

目的

アメリカがグローバリズムに走って著しい格差と分断を生み出した機序については、私は基本的にはトッドの説明に納得している。しかし分からないこともある。

新自由主義の弊害はかなり早くから認識されていた。その上、2008年には世界金融危機も起きたし、2012年には大規模な抗議運動「Occupy Wall Street(ウォールストリートを占拠せよ)」も起きた。

格差が生まれてしまったことは仕方がないとして、アメリカはなぜこのときに至ってもブレーキをかけられなかったのだろうか(大統領はオバマだった)。

また、経済格差が顕在化した1980年から現在という時期は、アメリカがCIAなどの諜報機関による代理戦争、代理テロ、その他、ありとあらゆる手法による世界秩序の撹乱に熱中しはじめた時期と一致している。

 *私はウクライナ戦争もこの一部と捉えています。

不平等の下意識が拡大したからってなぜそんな秘密作戦にのめり込まなければならないのか。

私は「よい人間がよい社会を作り、悪い人間が悪い社会を作る」という考えを採用していない。アメリカが何かうまくいっていないように見えるのは、彼らが悪いからでも愚かだからでもなく、システムと状況の相互作用によるものなのであるはずなのだ。

その機序を解明しよう、というのがこの文章の目的である。

仮説:原初的核家族の帝国

トッドの分析を読んで、私はアメリカは絶対核家族というより原初的核家族なのではないかと考えるようになった。アメリカ II はその方向で行かせてもらう。

*絶対核家族だとしても「直系家族の痕跡を喪失した絶対核家族」なので大して変わりはない。

現在のアメリカの混迷は、アメリカが大きくなりすぎたことによる、というのが私の基本的な仮説である。

原初的核家族とは、狩猟採集社会における部族(tribe)のシステムである。本来は国家の形成すら困難な狩猟採集民が、なぜか並ぶもののない超大国として世界を率いることになってしまった、というのが現在のアメリカなのである。

問題が起きない方がおかしいといえるが、
どういう問題なのかは特定される必要がある。

アメリカの大きさ

1776年の独立宣言から数えて約250年、1788年の合衆国憲法誕生発効からだと235年という短期間の間に、アメリカは、人口、領土、そして中央政府の規模という点で、驚くべき膨張を遂げている。

まずはその様子を確認しておこう。

(1)人口

人口はまずこんな感じ。ずっと増え続けているが、とくに19世紀後半からの伸びが著しい。

*1860年頃にイギリスを抜いていると思います。

しかしその割に、人口密度は19世紀の間はあまり上がっていない。領土が大幅に拡張したためである。

ちなみに、日本の人口密度は2010年がピークでその後低下を始めているが、アメリカは当分増え続ける見込みである

(2)領土

建国の基礎となった13州はこれだけである(濃いピンクの部分)。これだけでもかなりの広さではあるが。

その後少しずつ領土を拡張し、1803年にフランスからルイジアナを購入してこれだけ大きくなった(濃いオレンジ、水色、濃い緑)。

そして、1840年代にテキサス、オレゴン、カリフォルニア、ニューメキシコを含む広大な領土を獲得し、ほぼ現在のアメリカ、大西洋岸から太平洋岸に至る大陸国家アメリカになるのである(濃いオレンジ、水色、濃い緑)。

https://maps.lib.utexas.edu/maps/histus.html

(3)連邦政府の規模

詳しくは次回に見るけれど、中央政府にあたる連邦政府の機能は18世紀後半から強化され始め、その後は基本的に拡大の一途をたどる。

アメリカといえば「小さな政府」というイメージがあるが、20世紀以降のアメリカには当てはまらない。

連邦予算の推移を見ると、とりあえず「膨張しているな」ということは分かると思う(青が歳入、赤が歳出)。 

https://stats.areppim.com/stats/stats_usxbudget_history.htm

未開社会と国家はどう違う?
ー「権威」の機能

アメリカ帝国の驚異とは「これだけ大きな国家を原初的核家族が運営している」ということに尽きる。

国家規模の拡大は、歴史的には、家族システムの進化とともに起こるものだった。メソポタミアにおける国家成立の背景には原初的核家族から直系家族への進化があったし、ハンムラビ王がメソポタミアを統一し、秦の始皇帝が中国を統一する背景には、直系家族から共同体家族への進化があった。

それなのに、アメリカは、どういう運命のいたずらか、原初的核家族のままで大国を率いることになってしまったのである。

さて、しかし、原初的核家族であることのいったい何が問題なのであろうか。未開社会と比較して、国家における「権威」の機能をおさらいしておこう。

(1)未開社会

約7万年前から、人類は何らかの倫理観念を持ち、集団の紐帯として役立てていた。その小さな部族的集団(親族が基本)の中では、人間たちはそうそう争うことはなく、大体同じようなことを考えて生きていたのではないかと思われる。

*ときどきニュースなどで「人間の脳には共感を司る部位があることが解明された」「利他性を司る部位が・・」とかいう話があるのはおそらくその関連で、人間の身体(脳を含む)は基本的に毎日接する相手や考え方を「正しい」と前提し、助け合って生きていく仕組みになっているように思う。

こういった集団にも、「長老の発言権が大きい」などの緩やかな権威は存在するであろう。しかし、その種の権威には持続性がなく、国家の軸にはまだ弱い。

狩猟採集民は移動生活が基本なので、移動できる広いスペースがある限り、他の集団との「正しさ」(倫理)の違いが深刻な問題を生じることはない。彼らは素朴に自分たちの考えを正しいものと信じて生きていくことができるのだ。

何らかの事情で他の集団と争いとなった場合、相手集団は単純に「敵」である。戦うか、離れるか。基本的にはその二択で対応するだろう。

*なお、国家の成立に関する社会科学や哲学の議論は「個人」を主体として観念することが多いが(近代化に向かう時期の核家族エリアで始まったからだ)、近代国家が生まれる以前の人類は例外なく集団を基本単位として暮らしていた。国家も「個人と個人」の関係性ではなく「集団と集団」の関係性から生まれたはずなのだ。ということで、少し違和感を感じる人が多いと思うが、集団を基本単位として議論を進める。

↓権威の機能についてはこの記事でも(ほとんど同じ話を‥‥)書いているのでよろしければどうぞ。

(2)国家

定住が始まり、人口が増え、土地が希少になったときが、国家成立のタイミングである。

部族的集団同士の間で「正しさ」のすり合わせた必要になるタイミングと、土地を子孫に受け継ぐことが必要になるタイミングが一致するというのがミソで、土地の継承のために生まれる直系家族の権威の軸が、共有物としての「正しさ」=「法」の基礎を提供する。

未開社会の部族民と(直系家族以上の)国民の根本的な違いは、「正しさ」の基準が自分の内側にあるか外側にあるかであると考えられる。

未開社会の人々が自分たちの考えを素朴に「正しい」と信じるのに対し、「権威」の軸を持つようになると、人々は「正しさ」とは自分の外側にあるものだと感じるようになるのである。

日本には「権威」の軸があるので、その作用は日本人には理解しやすいであろう。私たちの多くは、誰もいない所でも「お天道様が見ているから」行動を律しなければならないという感覚を持っていると思う。これこそが、家族システムの中に「権威」があるということの意味であり、効果なのだ。

権威の軸を持つ社会では、各集団(に属する人間たち)はその軸を「正しさの源」と見て(具体的な中身が分からなくても)それに従おうとする。

それによって生まれる「凝集力」。これが国のまとまりの源である。

これが出来てしまえばシメたもので、あとはこの軸に、行政組織とか、いろいろ付け足していけば、立派な国家ができあがる。この軸を持ってさえいれば、国家を維持することは、大して難しいことではないのである。

(3)国家における権威の機能

①秩序維持

国家において「権威」が果たしている役割は非常に根源的で総合的なものだが、「ないとどういう風に困るか」を理解していただくため、その機能を3つに分けて説明してみたい。

第一は、秩序維持機能である。

権威が確立した社会では(おそらく特に直系家族の場合)、人々は自ら行動を律する傾向を持つようになるし、法を定立することも、警察、司法制度を機能させることも容易になる。

限られた領域に大勢の人間が暮らしている場合、少なくとも最小限の秩序維持機能は絶対に必要といえる。それがなければ、弱肉強食、血で血を洗う抗争の世界となってしまうから。

そのため、限られた領域に人間がひしめいているにもかかわらず、権威が確立していない場合(原初的核家族はこれにあたる)、何が起きるかというと、たいてい、最も強い規律と実力を持つ組織が「権威」を代替することになる。

日本でも、戦後の混乱期などには、ヤクザ組織が地域を治めているケースがあった(と思う)。シチリアのマフィアなどもそういう機能を果たしていただろう。

また、急に国家としてやっていかなければならなくなった国では、とりあえず軍が国の中枢を担うことが多い。他に有効に機能する権威がないからだ。軍事政権は「悪」の代名詞みたいに言われるが、ヤクザだってマフィアだって軍だって、ないよりはあった方がましなのだ。

これも新興国にありがちなもう少し穏当なケースとしては、裁判所(司法機関)が実質的に一番強い権力を持っている場合がある。比較的安定した社会では、信頼感と規律の高さで司法機関が優越するのかもしれない。

大事なことなのでもう一度言う。

広大な領域に少ない数の人間が暮らしているだけなら「権威」が存在する必要はない。自由、自律、すばらしいことである。

しかし、限られた領域に大勢の人間が暮らすときには、権威は絶対に必要である。だからこそ、それがない場所では、自動的に「暫定権威」が生まれてくるである。

②行政の適正

国家に権威が不可欠である理由のもう一つは、権威があってはじめて行政機能の維持が可能になるためである。

行政とは公共サービスである。したがって、自分の利益よりも「みんなの利益」を優先できるメンタリティが普及していないと、国の行政機能を適正に維持するのは難しい。それを可能にするのは、「権威」の存在なのだ。

フィリピンの入管施設の(日本から見ると)デタラメぶりに驚いた日本人は多いと思う。しかし、「公務の廉潔性」というのは原初的核家族にはよく分からない概念であろう。

*フィリピンは原初的核家族(『家族システムの起源 I 上』336頁以下)。

権威の軸(この文脈では「正しさの基準」)を持たない人々にとって、入所者から金をもらって優遇してやることは単に「win-win」である。自分が得をして、相手も得をする。それだけだ。

したがって、今後もその種の腐敗がなくなることはおそらくないし、当地の一般の人たちは別段問題とも思っていないはずである。

そういうわけなので、アメリカ建国期の「小さな政府」は、原初的核家族には適した仕組みであったといえる。しかし、上に見たように、現在のアメリカ政府は巨大なのだ。

③自然な一体感

上の図を見てもらうとわかりやすいと思うが、権威の軸には、社会に自然な一体感を醸成する機能がある。

日本語だと「同じ太陽の下」とか「ひとつ空の下」と表現される感覚がそれに当たり、社会が適正サイズに収まっている場合には、おそらく、抑圧的に働くものではないと思われる。

*今の日本が抑圧的でないと言っているわけではありません。現代の直系家族国家がやや窮屈なのは、多分、規模が大きすぎるせいなのです(そのうち書きます)。

そうして得られる一体感やまとまり感(凝集力)は、秩序のおおもとでもあるし、外敵から身を守る国防力の源泉でもあるだろう。

したがって、それを持たない人々が、一体感やまとまり感を持つ必要に迫られた場合、何らかの代替的手法を編み出していくはずである。それが何かは、次回の主なテーマとなる。


家族システムにおける「権威」とは、国家の成立に不可欠な基本機能を供給してくれるありがたい存在である。

直系家族は権威の軸を持ち、共同体家族はもっと強力なそれを持ち、絶対核家族は持っていないけど、例えばイギリスであれば、ノルマン貴族の末裔である王侯貴族、彼らが作った行政の伝統、ローマに由来する教会組織などの「権威」の痕跡が数多く残された土地を持っている。

ところが、アメリカは、それに類するものを何一つ持たずに、世界に冠たる超大国となってしまった。

これがどれほど奇妙で、「ありえない」と思しき事態か、ご想像いただけたであろうか。

今日のまとめ

  • アメリカの混迷は、狩猟採集民の家族システムのまま、超大国を率いることになったことによる(仮説)。
  • 進化した家族システムを持つ標準的な国家の場合、権威の軸がもたらす凝集力が国家のまとまりの源となっている。
  • 権威は、①秩序維持機能、②行政の適正、③自然な一体感 を国家に供給している。
  • 歴史的には、国家規模の拡大は家族システムの進化を伴う。「権威なき」アメリカの事例はかなり「ありえない」事態である。
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国家の誕生

 

「国家の誕生」は突然に

人類にとって、「人間らしさ」の獲得(約7万年前)に次ぐ大事件は、国家の誕生(紀元前3300年頃)だと思われる。

「社会」はおそらく7万年前から存在していた。農業も紀元前12000年頃には始まっていたとされる。人々は、互いに協力して、狩猟や採集、農耕によって食糧を確保し、子供を育て、外敵から身を守り、老いた者の面倒をみていた。踊りを踊って親睦を深めたり、何か決める必要があるときには話し合いもしただろう。

しかしその何万年かの間に国家が生まれていた形跡はない。つまり、この世界にまだ王はなく、法も、軍隊も、官僚も、宗教も、歴史も存在しなかった。

「人間らしさ」の獲得と同様に、国家の誕生も、漸進的な過程とは違う。人類が少しずつ進歩して法、軍隊、官僚、宗教、歴史を育んだ、というのではなくて、紀元前3300年前後、人類史の時間的尺度からすれば「一瞬」と言って差し支えないある時期に、その全てが同時に生まれたのである。

いったい、何が起きたのだろうか。

国家を生んだのは仲間内の争い

きっかけとなったのは、一つの単純な事実。人口の集中である。

メソポタミアでは、気候の乾燥が河川沿いへの移住をもたらしたらしいが、ともかく、大勢の人が一定の領域内に定住するようになり、土地が不足したのだ。

土地の不足は土地をめぐる争いを生む。
誰の間で?

社会契約説だと、人々は万人の万人に対する闘争状態(ホッブズ)を回避するために自由を差し出す。万人と万人はどっちも、無色透明の一個の個人であることが想定されている。

しかし、土地をめぐる争いが国家の誕生につながったのは、その争いが「万人の万人に対する争い」というよりも、味方同士、もっといえば、身内同士の争いだったからなのである。

国家以前の社会

国家形成以前の7万年の間、人類がどんな社会で暮らしていたかは、大体見当がついている。

夫婦二人と子供の核家族が基本単位。この家族がいくつか集まって、ともに移動し、狩猟や採集や移動農耕を行う一つのグループを形成している(血縁があることが多い)。

出入りは自由、regroupあり、上下関係もない横のつながりだが、原則としてこのグループの範囲では結婚しない(「バンド(band)」とか「小村(hamlet)とかいうが、以下「バンド」で統一)。

その外側にはさらに一定の領域内に暮らす1000人くらいのコミュニティがある。これも横のつながりで、上下関係はない。親戚ではないが、地縁に基づく仲間という感じのつながりで、人々は通常この範囲の中で結婚相手を探すことになる。

彼らが帰属する社会はここまで。この外の人間たちは基本「よそ者」であり、潜在的な敵である。

*なお、国家形成以前の階層化が進んでいない社会でも、すべての人間が平等の個人として観念されるということは決してなく、集団単位で、仲間とそれ以外、味方と敵というくくりを持っていたという。Todd, Lineages of Modernity, pp75-77. 本文の記載もこの本の63頁以下を主に参照。

こういう社会で、法律とか国王とかが必要かといえば、必要ではないだろう。

バンドやコミュニティの絆はゆるいから、内部での深刻な争いは起きにくい。バンド内で揉めたら一方が出ていって、どこか他のバンドに入れてもらえばいい。コミュニティの中に居場所がないという事態はおそらく(ゆるいので)生じないし、どうしてものときは出ていけばいい。

外部の人間との争いは実力勝負だ。
敵を裁くのに法はいらない。
負けた方が滅び、または撤退するのみ。

プレ国家状況

人口集中による土地の不足は、こうした状況を大きく変えた。

同じコミュニティとりわけバンド内というもっとも近しい身内の間で、のっぴきならない争いが頻発するようになったのだ。

農耕社会における土地の不足。それは、親は土地を持っていても、その子供たちが新たに開墾する土地は残っていないということを意味する。

今までは、子供たちは成人したら家を出て、新たに開墾した土地で新たな世帯を営めばよかったのだが、それができなくなるのである。

一家は、親の土地を子供に伝えることを考えるようになる。最初はきょうだいに分け与えることができても、それを続ければ土地は狭小になる。農業効率の低下を避けるには、分割せずに継承させることが不可欠だ。

さあ、誰に継がせるか。

というところで、争いが起きる。それも、一軒や二軒の話ではない。地域一帯のすべての家で同様の争いが起き、バンド内の誰は誰の味方に、誰は誰の味方になったりして何かややこしいことになり、戦争だって起きかねない(というか起きる)。

国家とは、どうやら、こういうときに発生するものらしい。

家族システムの誕生

世界史の教科書には、メソポタミアで都市国家が成立した頃に、文字が生まれ、王、官僚、軍隊、宗教、法が生まれたことが書かれている。

*最古の法典として知られるウルナンム法典は紀元前2000年前後の編纂とされるが、「法典」はそれ以前に通用していた法を整理してまとめたものだから、法そのものはそれよりずっと古いと考えられる。

しかし、国王、官僚制度、軍隊、宗教、法制度、そのすべてを成り立たせるのに不可欠な「権威」は、どこから調達されたのだろうか。

都市国家は誕生するとすぐに都市国家同士で戦争を始めるものだが(これはシュメールでも中国でも日本でも同じ)、都市国家の成立そのものは軍事的征服の結果ではない。軍事力以外のいったい何が、最初の王の誕生を可能にしたのか。

世界史の教科書には書かれていないが、答えは分かっている。
家族の体系化である。

人口の集中により土地が不足すると、親の土地を誰か一人の子供に受け継ぐという仕組みが開発される。これによって生まれる世代間の絆が、システム形成の基礎になる。

最初はルールが曖昧で、親が死んだらまずは親の兄弟に譲り、兄弟が死ぬと子供の世代に、とかってやるんだけど(Z型継承という)、それをやっていると相続争いは止まらない(日本だと南北朝の動乱とか応仁の乱とかって完全にこれだと思う)。

よし、それなら長男に継がせると決めてしまおう。
これで長子相続制が完成だ。

長子相続制(=直系家族)の完成によって、親子をつなぐ縦の絆は、家系をつなぐ一本の線となり、親から子(長子)、子から孫(長子)へと連綿と受け継がれることになる。社会の中に、確固たる縦型の権威の軸が据えられるのである。

直系家族契約による構造化

ここまでくれば、国家はできたも同然だ。

「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という社会契約が結ばれたことで、ゆるやかな横のつながりでしかなかったバンド、コミュニティの人間関係は、一気に縦型に構造化される。

共通の祖先をいただくコミュニティ内の「家長」が王となり、兄弟の序列に擬えて家と家の関係性が定まり、官僚機構が形成される。

国家以前(家族システム以前)の世界では、争いの解決は実力によるしかないのだが、権威が生まれたことで、法に基づく解決が可能になる。前述の契約に基づき、権威者の裁定に従い、権威者の定めるルールに従うことが、人々の義務となる。

と、まあこんな感じで、最初の国家は生まれたと考えられる。

人類最初の国家を生んだ社会契約は万人の万人に対する闘争状態を回避するために自由を差し出すというような契約ではなく、最初の国家は激しい闘争を勝ち抜いた者が人民を征服することで生まれたのでもない。

農耕社会における土地の不足という非常に具体的な条件の下で、土地の細分化および土地をめぐる争いを回避し、家系の維持(≒人類の生存)を確実にするために、人々は「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続に協力する」という契約を結んだ。

この契約によって地球上に初めて発生した「権威」。これこそが、王、官僚制度、軍隊組織、宗教制度、法制度のすべてを成り立たせ、国家の成立を可能にしたのである。

今日のまとめ

  • 自然状態において人類はグループに分かれ、仲間とそれ以外、味方と(潜在的)敵を区別している。
  • 農耕社会における土地の不足で仲間内での争いが避けられなくなったとき、家族システムの最初の進化が起こり、同時に国家が発生する。
  • 最初の社会契約は「親の権威に従い、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という直系家族契約だった。
  • 直系家族の親の権威が、国家の成立に不可欠な権威を提供した。