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基軸通貨ドル

ポンドの沈下/ドルの浮上
-アメリカはどうやって大英帝国の力を削いだか-

はじめに

第一次世界大戦を契機に、安定したポンド覇権(国際金本位制)は終わりを告げる。

ポンドの地位が低下する一方、アメリカ・ドルの地位は上がる。ポンドとドルのダブル基軸通貨体制になるのだが、ドルは基軸通貨国としての責務を担うことはしない。

こうした不安定な体制の結果生じた金融秩序の混乱が、かなり直接的に、第二次世界大戦の勃発につながっていくのだ。

もちろん、ポンドの沈下は、自然現象のように起きたわけではない。それをもたらしたのは、アメリカの、おそらくさほど意図的ではないものの、とても「アメリカらしい」行動である。

イギリスとアメリカ

第一次世界大戦とその戦後処理、戦間期、そして第二次世界大戦と戦後の秩序回復に至る歴史は、一面では、イギリスからアメリカへの覇権交代の歴史である。

イギリスとアメリカは実際にはライバル関係にあるのだが、それぞれの行動は、その過去に由来する微妙な関係性に支配されている、という感じがする。

イギリスを由緒正しい本家、放蕩の後に出世した家出息子をアメリカとしよう。

イギリスはアメリカに対し「そうはいっても息子」という思いを捨てられない。本家イギリスの大国としての地位を守るために、アメリカは最後には力を貸してくれるはずだと信じている。

*そして、一度や二度、裏切られても、その思いは揺らがない。

一方、アメリカにはイギリスの大国意識こそが煩わしい。あんたが大国でいられるかどうかなんて知ったことか。

どうしてもと頭を下げれば支援はしてやろう。だがやり方は俺が決める。大国になったなら大国らしくしろ? 大きなお世話だ。

こうしたそれぞれの姿勢は、第二次世界大戦とその戦後処理に至るまで継続していくのだが、今回は第一次世界大戦とその戦後の話である。

第一次世界大戦におけるアメリカの立ち位置

第一次世界大戦(1914-1918)(以下WW1とする場合がある)は、大局的に見ると、ヨーロッパの覇権をめぐって戦われたイギリスとドイツの戦争である。勢力拡大を狙うドイツをイギリス、フランスで抑え込んだ格好だ。

WW1の対立の構図は、同盟国 VS 協商国(連合国)である。

同盟国(中央同盟国 central powers)の中心はドイツとオーストリア、一方の協商国(連合国)(entente or allied powers)には、当初のイギリス、フランス、ロシアに加え、ポルトガル、日本、イタリアが名を連ねた。

*英仏露のいわゆる三国協商はtriple entente。「協商国」の語はここから来ているが、日本語で英仏の側を協商国とも連合国ともいうように、英語でもentente powersともallied powers(またはallies)ともいうようだ。

あれ、アメリカは?

私は今回調べるまで全く知らなかったが、
ここが大事なところなのである。

アメリカは1917年4月にドイツに宣戦布告し、大戦に参戦する。

アメリカ兵が本格的に前線に配備されたのは1918年になってからだが(訓練に時間がかかったとか)、それでも、戦争末期には140万人のアメリカ兵が西部戦線で戦い、同戦線での戦死者は11万6000人にのぼっている(木村靖一『第一次世界大戦』(ちくま新書 2014年)178頁)。

 *大戦全体の国別統計はこちら

フランスに運ばれるアメリカの兵士たち

連合国にとって直接的に何よりも大きな支援は、アメリカの資力と工業力にあった。イギリスの輸入量に占める合衆国の比率は、1914年では26%、17年に43%、18年になるとほぼ半分の49%にもなっている。また連合国への総額112億ドルにもなる借款がなければ、戦争の継続は難しかったと指摘されている。

木村・前出178頁

というわけで、アメリカの力、とりわけ経済力がなければ、連合国の勝利はなかったというのが一般的な評価である。ところが、アメリカはallied powersの一員ではないというのだ。

じゃあ、何なのか。

第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約では、いわゆる連合国は ”allied and associated powers” と記されている。

同盟を結んだ国々(allied powers)と、それ以外の、いわば提携関係にあった国々(associated powers)とが、概念上区別されているのである。

*この両者を日本語でどのように訳し分けるのかわからない。wiki日本語版では、「同盟国と連合国」としていて、ゼロから訳してよいなら妥当な訳だと思うが、日本語ではドイツ側を「同盟国」イギリス側を「連合国」と呼ぶのが一般的なので、その訳し分けはちょっとややこしすぎると感じる。イギリス側参加国を「連合国」と呼ぶ慣例に従った上でいうと、実態は、連合国の中に、同盟による連合国と、事実上の協力関係による連合国がある、という感じだと思う。

そして、この区別に誰よりもこだわったのがアメリカだった(両者の区別を含めてブリタニカのサイトが参考になる)。

実際のところ、アメリカは、イギリスやフランスとの同盟関係を否定することによって、第一次世界大戦の「真の勝者」になったのである。

「戦債問題」の真実

大戦中、アメリカはヨーロッパ各国に多額の物資や資金を提供した。その額は、連合国全体で71億ドルに及んでいる。資金援助は大戦後も続き、1921年には120億ドルに達していた。

*71億ドルのうち37億ドルがイギリス、20億ドルがフランスである。120億ドルの内訳は45億ドルがイギリス、42億ドルがフランスで、復興資金としてフランスに投下された金額の大きさが窺われる。

この多額の「戦債」が、WW1の戦後処理における最大の問題であったことはよく知られている。

*しかし正直にいうと私は知らなかった。賠償金のことは知っていたが戦債のことはよく知らなかった。

勝利した連合国は、アメリカに対する債務の支払いに苦しみ、敗北したドイツは戦勝国への賠償金の支払いに苦しんだ。

多額の対米戦債と賠償金こそが、WW1後のイギリスおよび大陸ヨーロッパの経済を停滞させた直接の原因であり、第二次世界大戦の遠因でもあった。

と、ここまでのことは、世界史の教科書にも書いてあるし、大抵の金融史の本にも書いてある。しかし、ほとんどどの文献にも書かれていないことがある。

同じ戦争を味方同士として戦った同盟国の間で融通された物資や資金のすべてを「債務」として扱い、その返済を(利子付きで!)義務付けるというやり方は、当時としては普通ではなかった、ということである。

アメリカがalllied powersの一員であることを拒絶した最大の理由は、これらの戦債の処理において「俺のやり方」を貫くためだったと考えられる。

戦債処理における「アメリカ流」とは、物資・資金提供が持つ政治的な意味を捨象し、民間の債務とまったく同様に、ビジネスの問題として処理することだった。

出世した放蕩息子のアメリカは、「俺は別に同盟国じゃないし」「ただ助けてやっただけだし」ということでそれまでのやり方を無視し、多額の債務をテコに、イギリスを王者の地位から追い落としたのである。

*この時点でどこまで意図的であったのかはわかりません。

新兵器:国家間債務

アメリカが示した「俺流」の新しさを、2つの側面から説明しよう。

①政治的文脈の無視

一つは、軍事支援の政治的文脈を無視して、ビジネスに徹したことである。

それ以前の戦争は、一国(大抵はイギリス)が同盟国の軍事費を賄うのが通常で、融資ではなく月々の助成金のような形で支払っていたという。

*この方式は、同盟国の忠誠を担保する目的も果たすことができた(相手がいうことを聞かなくなったら即座に支払いを停止するのだ)。

アメリカ独立戦争(1775-1783)の際にはフランスがアメリカに多額の支援を行ったが、そのほとんどはやはり純粋に助成ないし贈与として供されている。

フランスはアメリカに提供した援助(7億ドル相当の軍事援助と200万ドルの資金)の代償を要求することはなかったし、融資の形で提供された600万ドルを厳しく取り立てることもなかった。

*というか、(1789年の革命を経て)生まれたばかりのフランス共和国はおかねに困っていたので同じく生まれたばかりのアメリカ合衆国に再三返済を要請したが、まったく耳を傾けてもらえなかった。要するに返してもらえなかったのだ。

WW1でも、英仏は、連合国側での参戦を条件に、ギリシャに「返済の心配は無用」という形の軍需品の供給を約束している。

同じくWW1で、イギリスはロシア、イタリア、フランス等に約70億ドルの資金を提供しているが、もとより回収の目処はなく、回収するつもりもなかったと思われる。

戦費の返済を求めない慣習は、「戦争とは政治的目的を達成するための手段である」という常識によるものである。

ギリシャはギリシャのために戦うのではなく、連合国のために戦うのである。資金は政治的目的を同じくするものの間で融通し合うのが当然ではないか。

しかし、アメリカはこの常識に異議を唱えた。

実際には、当初は「返済の心配は無用」という姿勢を見せていたというが、戦争終結後、アメリカ政府は態度を変える。

「借りたものは返す。それが常識でしょう、奥さん?」と言いつのる高利貸しのように、アメリカは各国からの債務調整の申し入れをキッパリと断り、提供した軍需品や資金のすべてを帳簿に書き込んで、連合国とりわけイギリスに対して、債務の返済を強要した。

*実際、この時期のアメリカは(イギリス人に)「シャイロックおじさん」と呼ばれていたそうである。

「同盟国ではない」ということを論拠に、支払いの猶予すら認めず、直ちに元本と利子の支払いを始めるよう要求したのである。

戦間期を覆う不況の中で、アメリカが実際に回収することができた金額はごくわずかだった。

しかし、多額の債務を背負わせたことが、イギリス経済の回復を阻害し、ポンドの沈下/ドルの浮上に大いに役立ったことは間違いない。というか、これによって、アメリカは「WW1 の真の勝者」となったのだ。

②国家間の債権ー債務関係

WW1後の戦債処理のもう一つの新しさは、国家と国家の間に債権者ー債務者の関係性を持ち込んだことにある。

当時も政府が外国から借金をすること自体は珍しいことではなかった。しかし、債権者は民間の個人投資家であるのが通常だった。鉄道事業などを対象としたイギリスの資本輸出(証券投資)はその典型だ。

*日本政府も鉄道建設や秩禄奉還者への就業資本供与(!)など、さまざまな事業についてロンドンの金融市場で発行した外債で調達している(日本銀行「戦前における外資導入について」)。日露戦争の戦費をロンドンとニューヨークの金融市場で発行した外債によって調達したことも有名だ。詳しくはこちら(渡辺利夫「高橋是清の日露戦争」)

この写真をどこから見つけてきたのか忘れてしまいました。思い出したら加筆します。

しかし、連合国がWW1の戦費を民間投資で賄うことができたかといえば、できなかったであろう。収益性が見込めないからである。

*イギリスはある程度は民間からの借金もしている。

WW1は当時の先進国同士の戦争である。「新興国が大活躍を始める」といった大きな希望を伴わない潰し合いのための戦争で、どちらが勝つとしても、その費用は基本的にはヨーロッパの破壊に用いられるのだ。

資金は必要だが、収益性は期待できない。それが、一般に戦費が同盟国間の補助金方式で融通されていた理由であり、連合国が民間のアメリカ人ではなく、アメリカ政府の援助を仰ぐことになった理由である。

計算づくだったとは思わないが、結果から見ると、「アメリカはこの状況を見事に利用した」ということになるだろう。

民間投資家なら決して資本を投下しない案件に「政治的同盟者」の顔で資金を提供し、すべてが終わった後、「投資家」の顔に変身する。

そうすることで、アメリカは、他国に対して、返済不可能な債務についての債権者であるという政治的にきわめて優越的な地位を(史上初めて)獲得したのである。

彼らは知った。
国家間債務は武器になる」と。

とはいえ、相手が自国を草刈場として見ていることが明らかなときに、返済困難な債務を背負い込もうとする国は少ないだろう(指導者がグルである場合は別である)。

しかし、(表向き)公益的な主体から、政治的ないし人道的支援として提供されるとしたらどうだろう。経済的に苦境にある国が、その申し出を断ることは決してないだろう。

アメリカはWW1の経験を通じて、ここまでのことを「知恵」として学んだかもしれない。

次回以降の話だが、このスキームは後に、途上国に対して支配的影響力を及ぼす手段として用いられていくことになるのである。

1914-1939の金融・経済事情

そういうわけで、WW1の戦債問題がかなり直接的に作用した結果、ポンドは沈下し、ドルが浮上した。

しかし、放蕩息子のアメリカは、「別に親父の跡なんか継ぐ気はないし」「まだまだ自分のことで精一杯だし」ということで、その責任を果たそうとはしない。その結果、金融を震源地として世界経済は混乱の一途を辿り、WW2を迎えるのである。

この間の出来事は再度の戦争を招いた大きな過ちとして記憶され、WW2後の秩序形成の際、「反面教師」として参照されることになる。戦債問題を含めて、箇条書きで整理し、次回以降に備えよう。

①国際金本位制崩壊

世界大戦が勃発してパニックに陥った各国は、金保有量と通貨量を連動させる金本位制の「ゲームのルール」を無視して金の抱え込みに走り、国際金本位制は崩壊した。

ケインズの伝記に、彼が1919年に「田舎暮らしの退屈を紛らわすため」に外国為替の投機を始めた旨の記載があり、金本位制の崩壊後まもなく為替変動を利用した投機が始まっていたことがわかる。ケインズは母親宛の手紙に次のように書いている。

「現在のシステムの長期的な継続が許されるとは思えません。特殊な知識と経験が少しあるだけで、お金が造作なく(かついかなる意味においても不当に)流れ込んでくるのですから」。

ロバート・スキデルスキー(村井章子訳)『ジョン・メイナード・ケインズ 1883-1946  経済学者、思想家、ステーツマン』(日本経済新聞出版、2023)上・350頁

②ポンドの地位が低下し、ドルが急浮上

イギリスが純債務国に転落した一方、アメリカは純債務国から巨額の純債権国となっていち早く金本位制に復帰。ドルの地位が急浮上した。

*アメリカは1914年6月末時点では(大戦前)22億ドルの純債務国だったのが1919年末には64億ドルの純債権国に。イギリスについては数字がないが大戦前は少なくとも「トントン」であったのが大幅な純債務国に転落したようである。(以上につき、上川ほか・39-44頁[平岡賢司])

③多額の戦債または賠償金によりヨーロッパ各国が困窮に陥る

・イギリス、フランスを始めとする連合国はアメリカに対して約71億ドルの債務を負った(うち約37億ドルがイギリス、20億ドルがフランス)(いずれも休戦時)。

・ドイツは1320億マルク(約66億ドル)の賠償金を課された。

・復讐心に燃えるフランスはともかくイギリスはドイツへの過大な賠償金請求がヨーロッパの安定を損なうことを理解していた。

・それでも多額の賠償金を求めざるを得なかったのは、アメリカが戦時中の資金提供を債務として回収する立場を取ったことが理由である。

*連合国の対米債務と賠償金の額が概ね一致していることに注目していただきたい。

④基軸通貨がポンドとドルの2つに分裂

・貿易その他の国際取引に関してニューヨーク金融市場が急成長を遂げ、ロンドン金融市場と肩を並べるようになった。

*ただし、第三国間の貿易金融を中心に、全体としてはまだポンドに優位性があったとされる。

・基軸通貨と国際金融市場の分裂で、ロンドン、ニューヨークに加えベルリン、パリなどの主要国の金融市場を激しく移動する「ホット・マネー」が発生。システムの不安定化が進んだ。

⑤再建金本位制の下でドルの存在感が上昇

・アメリカに続いてイギリスが金本位制に復帰(1925)。再建金本位制の時代が始まる。

・なぜイギリスの復帰=再建金本位制なのかについては、山本栄治先生にご説明いただく。

再建国際金本位制は2極通貨体制だといっても、ポンドを中心に構成された国際通貨システムであり、ドルはそれを補完する役割を果たしていた。アメリカは巨額の資本輸出を行ったので、ドルは契約通貨や投資通貨の機能を獲得したが、その国際的信用制度はまだ世界システムに発展しておらず、ドルはグローバルな基軸通貨の地位を獲得してはいなかったのである。

他方、イギリスは資本輸出能力を低下させたことによって契約通貨や投資通貨の機能をドルと分割しなければならなかったが、その国際的信用制度はまだ世界システムであり続けていた。‥‥ここにイギリスが金本位制復帰しなければ国際金本位制が再建されたとは言えなかった理由があ(る。)

山本栄治『国際通貨システム』45-46頁

・イギリスの金本位制への復帰は(主観的には)世界の基軸通貨・金融センターの地位を回復するためであったが、早すぎる復帰それも過大評価された(WW1以前の)旧平価での復帰はイギリス経済に悪影響をもたらした。

*通貨の価値が過大評価されると、国内では外国製品の価格が下がるため需要が国内製品から外国製品にシフトし、国外では自国商品の値段が上がるので買われにくくなる。国際収支は悪化し、自国の産業にも大打撃。

・1927年にはポンド危機が発生。危機はニューヨーク連邦準備銀行の主導によって打開され、国際金本位制の維持がロンドン(イングランド銀行)ではなくニューヨークの政策に依存するようになったことを印象付けた。

⑥金融恐慌で金本位制瓦解。

・1929年ニューヨーク株式市場大暴落。国際金融恐慌に発展し、イギリスの金本位制離脱(31年)により再建金本位制は崩壊。

・金融恐慌は、企業活動の停滞、大量失業、世界貿易の縮小を招き、世界的規模の大不況をもたらした。

⑥不況下で、為替戦争(通貨切り下げ競争)・貿易戦争(ブロック化、関税障壁の導入)が激化危機は解消しないまま、第二次世界大戦

・各国は為替の切り下げや保護主義的措置(貿易障壁の導入)を駆使して、自国の景気回復を図った。

*為替を切り下げる(自国通貨の価値を下げる)と、国内では外国製品の値段が上がるため需要が外国商品から国内商品にシフトし、外国では自国商品の値段が下がるので買われやすくなり、国際収支が改善する。ちなみに1933年の時点で為替相場の切下げ率が最大だったのは日本で1929年(金本位制時代)の金平価と比べて57%の下落。

・どうにかこの状況を改善する(つまり、不況から脱出し、かつ相場の安定を図る)ため、1933年にロンドン経済会議が開催されたが、アメリカ(ルーズヴェルト大統領)の非協力的な姿勢により、会議は何も達成せずに終わる。

・この時期のアメリカの姿勢については、次のような評価が一般的。

1930年代の大不況期に基軸国が国際経済の安定に寄与する可能性があったとすれば、自由主義的な通商政策や拡張的マクロ経済政策によって商品輸入を拡大するか、もしくは資本輸出を再開して、他の諸国の国際収支上の困難を緩和させること」であり、「その可能性を持っていたのはアメリカしかなかった。ところがアメリカは、‥‥国際通貨システムの安定よりも自国の景気回復を優先させる行動をとった。

石見徹『国際通貨・金融システムの歴史 1870-1990』86頁

・その結果、世界経済は、ポンド・ブロック、ドル・ブロック、金ブロック、ドイツ広域経済圏、円ブロックに分裂。互いにブロック内の関税を下げブロック外の国に高関税を課する「保護主義=近隣窮乏化」政策を展開して恐慌を深化・長期化させ、第二次世界大戦に突入。

*金ブロックは金本位制を堅持する国々。中核はフランス、スイス、ベルギー、オランダ、イタリア、ルクセンブルク

保護主義アレルギーについて

この時期に、各国が通貨切り下げや関税障壁により自国経済のみを保護する「保護主義」的政策を取ったことが、恐慌を長引かせ、戦争の要因になったことは事実である。

欧米各国の「保護主義」アレルギーはここから来ているのだが、しかし、この時期の経験が、あらゆる状況の下で自由貿易主義を正当化し、保護主義を不当とするものでないことは明らかだと思う。 

イギリスは1651年以来の航海法によって自国の海運と貿易を保護していた(イギリスがオランダを抜いて海運と貿易の覇者となり、通貨覇権を担うに至ったのはこのためといってよい)。これが廃止されるのは、1849年である。

フランス、ドイツ、アメリカも、19世紀のいわゆる産業革命の最中には高関税によって自国の産業育成を図っていた。日本だってそうだ。これらの国が経済発展を達成できたのは、保護政策によって十分な体力を付けていたからなのだ。

1930年代の大恐慌時の「保護主義」が不毛であったのは、それが自国産業の成長や貿易拡大のためのものでなく、単に他国の足を引っ張るためのものだったからである。

「このような為替戦争や貿易戦争は、貿易相手国を犠牲にして自国の景気回復を図ろうとする近隣窮乏化政策であり、また輸出を増大させることよりも輸入を減少させることによって国際収支の改善を図ろうとするものであった。その結果、国際貿易は物価の大幅な下落の影響も加わって急減した。」(山本栄治『国際通貨システム』61頁)

自国経済の健全な発展のために、一定の保護が必要になる場面は間違いなく存在する。それを無視して、自由貿易主義を言い募ることで、世界がどんな悪影響を被ったかは、次回以降に見ていくことになると思う。

まとめ

  • ポンド低落の要因は、いわゆる戦債問題(多額の対米債務)である。
  • 戦債問題」は、アメリカが戦争のための物資・資金援助を民間債務と同様に扱ったことによって発生した新たな現象である。
  • このときアメリカが開発した「政治的・人道的支援の顔をした返済困難な国家間債務」という武器は、爾後、他国に支配的な影響力を及ぼすために利用されていく。
  • 基軸通貨が分裂する不安定な体制の下、NY発の金融恐慌が世界規模の大不況に発展する。
  • 唯一の実力者であるアメリカを含む各国が保護主義=近隣窮乏化策(経済戦争)を展開して不況を深化・長期化させ、第二次世界大戦に突入。

主な参考文献

  • 山本栄治『国際通貨システム』岩波書店 1997
  • 上川孝夫・矢後和彦『国際金融史』有斐閣 2007
  • 石見徹『国際通貨・金融システムの歴史 1870-1990』有斐閣 1995
  • 加藤栄一「賠償・戦債問題」宇野弘蔵監修『講座 帝国主義の研究 2 世界経済』青木書店 1975
  • ロバート・スキデルスキー(村井章子訳)『ジョン・メイナード・ケインズ1883-1946 上』日本経済新聞出版 2023
  • Michael Hudson, Super Imperialism, Second Edition, Pluto Press 2003
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基軸通貨ドル

基軸通貨の誕生
-ポンドの場合-

はじめに

自分がこれまでどんな世界に暮らしてきたのかを知るためには、ドルが基軸通貨であるということの意味をよくよく理解する必要があるらしい、という認識に至り、覚悟を決めて勉強した。

するとあら不思議(?)、第一次世界大戦のあたりからウクライナ危機まで、何となくよくわからないと感じていた歴史の流れが全部わかっちゃったのだ。

金融秩序の変遷などという項目は、普通の世界史教科書の項目には入っていないし、社会科学各分野の専門家はもちろん、国際政治の専門家ですらみんなが知っているというわけではないだろう。しかし‥‥

国際政治経済において権力は、安全保障を管理できる人びとの手にある。また、生産による富の創造を統制している人びとによっても握られている。しかし、これまで述べてきたような安全保障構造と生産構造と並んで、そのどちらとも重要性はいささかも劣らないものとして、金融構造は重要な位置を占めている。

スーザン・ストレンジ(西川潤・佐藤元彦訳)『国家と市場』(ちくま学芸文庫、2020年)205頁(原著は1988年)

戦争や外交(安全保障)、物質的豊かさ(生産)が歴史が始まって以来の関心事であるのに対し、金融秩序における覇権という現象は、それ自体、19世紀の終わり頃になって初めて現れたものである。

ジョン・ロックもルソーもそれを論じていないし、アダム・スミスだってマルクスだって論じていない。

しかし、イギリスを中心とするヨーロッパからアメリカへ、核家族から核家族へ覇権が移行し強化されていく過程は、通貨覇権という現象とともにあった。

*英語ではmonetary hegemonyというのが一般的なようです。

今回勉強するまで私はまったく知らなかったが、19世紀末から現代、とりわけ1940年代から現代の特異な在り方は、かなりの部分、通貨覇権という現象と関わりがあるようなのだ。

基軸通貨ドルー私たちはどんな世界に暮らしてきたのか」というタイトルで始めるこの連載は、第二次世界大戦頃から現在までのドルの覇権がテーマである。

ただ、通貨覇権の基本構造を知り、ドル覇権の特性を知るために、先代の基軸通貨であるポンドのことを知る必要があるので、その限度で歴史を遡る。

というわけで、今回のテーマはポンド。
通貨覇権の誕生である。

基軸通貨とは何か

まず、基軸通貨とは何か。いろいろ調べてみたが「基軸通貨」という言葉に明確な定義はないらしい。

一般的には、国際取引の決済などに主に用いられ、国際金融や決済(為替)システムの要となっている通貨のことを基軸通貨と呼ぶようだ。

この連載でもその意味で用いる。

*「為替」という言葉はわかりにくくてなるべく使いたくないのだが、使わないのも不自然なのでカッコがきで使うことにする。また外国為替市場(外国通貨を売買する市場)については一般的な用語なのでそのまま使う。これらの言葉のわかりにくさについては、こちら(↓)をご覧ください。

ポンドが基軸通貨になるまで

(1)イギリスは世界貿易の中心地だった

近代化後の世界に初めて生まれた基軸通貨がポンドである。

*もって回った言い方をするのは、世界のグローバル化の先駆けであるモンゴル帝国の時代に銀本位制の通貨が基軸通貨として通用していたように思われるからである(そのうち書きます)。

イギリスの地に基軸通貨が誕生した理由は明快で、イギリスが世界貿易の中心地となっていたからである。

世界貿易で先行したのはオランダ。しかしイギリスは18世紀には毛織物貿易や海運でオランダをしのぎ、19世紀には産業革命による「世界の工場」化と交通・通信革命の効果として、多角的な貿易機構の中心地としての地位を確たるものとした、というのが教科書的な説明である。

*「多角的」はこれまで私の語彙にはなかったが、この領域で非常によく使われる形容詞(multilateralの訳と思われる)なのでこの先もちょいちょい使うかもしれない。この文脈では「二者間に限定されない多方面の」というような意味だが、経済のブロック化へのアンチとして使われることも多い。

インドはわがために綿花を作り、オーストラリアはわがために羊毛を剪り、ブラジルはわがために香り高き珈琲をつくる。……世界はわが農園、イギリスは世界の工場(workshop of the world)

と、こんなことを言った人がいたというが、その言葉の通り、繊維産業を主力とするイギリスの経済発展には、自国製品の輸出だけでなく、原料の輸入が不可欠だった。そして、もちろん、イギリスはお茶やコーヒー、砂糖などの輸入品を大量に購入し、物質的な豊かさを堪能した。

大事なことは、イギリス経済の豊かさは当初から輸出と輸入の両方によって成り立っていたということである。

輸出ばかりしていたわけでも輸入ばかりしていたわけでもなく、双方から成り立つ貿易システムの全体がイギリスの繁栄に不可欠だった。

だからこそ、イギリスは世界貿易の要となったのだ。

*なお、イギリスは悪名高い大西洋三角貿易(奴隷貿易)の拠点でもあったが19世紀には下火になっている。

(2)基軸通貨ポンド

世界貿易の中心地が世界金融の中心地となるのは道理といえる。

ロンドンではマーチャントバンカーと呼ばれる人々が先駆けとなり、ロンドン宛貿易手形の引受(短期の信用供与→要するに決済のための一時的なおかねの融通)サービスが普及した。

*マーチャント・バンカーとは、ロスチャイルド商会、ベアリング商会、モルガン商会などの(元は個人の)国際金融業者。世界大百科事典によると「19世紀初頭、ナポレオン戦争の終結とイギリス産業革命の進展を背景に、ロンドンが国際金融の中心となろうとするころ、有力な貿易商人であるヨーロッパ大陸(とくにドイツ)の富豪たちが来住し、その資力と名声をもとに上記の金融業務を開始したことに起源を持つ。」

*貿易手形の引受とは? これは現代の貿易手形のサンプル(↓)。貿易においては輸出業者が海外の輸入業者から支払いを受ける必要があるが、その決済業務を輸出業者・輸入業者それぞれの取引銀行が代行する。下は輸出業者(Export Handel NV)が取引銀行(Commerzbank AG)に(本来は輸入業者が支払うはずの)代金の支払いを依頼する書類(為替手形)。Commerzbank AGはこの為替手形を買い取ってDrawee(支払人)としてExport Handel NVに対する支払を引受け(=一時的に貸し付け(信用供与))、代金を輸入業者の銀行を通じて回収する。このケースでは輸入業者の信用状を発行しているのもCommerzbank AGなので、同銀行が輸入業者の取引銀行を兼ねていることが分かる(話が早いですね)。

このサービスが便利なので、世界の貿易業者は、イギリスとの貿易はもちろん、それ以外の国との貿易でも、ロンドンの銀行宛の貿易手形による決済を行うようになった。手形はもちろんポンド建てである。

世界中の人々がポンドを使って取引をする。
基軸通貨ポンドの誕生である。

第一次世界大戦よりも前のポンド紙幣ってこんな感じらしい。
https://www.bankofengland.co.uk/banknotes/withdrawn-banknotes

(3)「世界の銀行」

世界中の貿易業者が、決済をロンドン宛の貿易手形で行うようになるということは、主に次の2つのことを意味する。

一つは、すべての決済がポンドで行われるようになること(すでに書いた)。

もう一つは、貿易に従事したり、国際決済を必要とする世界中の人々がみんな、ロンドンの銀行に預金口座を持つようになるということである。

*日本国内で企業や個人事業主が手形・小切手の決済を行うときは(事業用の決済口座である)当座預金口座を用いるのが普通だが、これと同様に、国際決済が必要な企業や個人事業主は、当座預金口座に相当するものをロンドンに持つことになったのだ。

要するに、世界中からおかねが集まるのだ(この場合、支払いのための一時的な預金(短期資金))。

世界中からおかねがロンドンの金融機関に集まると、ロンドンの金融機関の信用は高まる。こうした場合、金融機関のやることは一つ。

貸付である。

おかねとは何か」で書いたが、貸付とは、信用に元手におかねを作り出すことにほかならない。

その意味するところの大きさについて、スーザン・ストレンジさんに補足していただこう(雰囲気を読んでいただければOKです)。

信用をつくり出す権力とは、他の人びとに今日消費を行い、明日その分の埋めあわせをする可能性を与えたり、否定したりする権力を意味する。この権力はまた、他の人びとに購買力を与え、それによって生産物にとっての市場を生み出す力を意味している。また、信用はそれを通じて与えられる通貨の管理を行い、他の通貨によって与えられている信用の交換レートに影響を及ぼす権力をも意味している。

ストレンジ・前出205頁

このとき、イギリスは文字通り、「世界の銀行」として、世界に通用するおかねを作り出し、人びとに消費の可能性を与えまたは否定し、市場を生み出し、通貨の管理を行い、他国通貨との交換レートに影響を及ぼす権力を手にしたのである。

通貨覇権の誕生

(1)気づいたら覇権国

ところで、ポンドが基軸通貨となり、イギリスが「世界の銀行」の地位に着いたのは、何というか、ただのなりゆきである。

イギリスとしては、狙って取りにいったわけではないし、こういうものを欲しいと漠然と思っていたということですらないだろう。

しかし、現実に世界の金融秩序がイギリスを中心に回り始めた以上、イギリスが相応の役割を果たさなければ、世界経済に支障が生じてしまう。

世界にはいつのまにか金融覇権ないし通貨覇権というべき巨大な権力が生まれていた。イギリスは気づいたときにはその地位にあり、重い責任を担っていたのである。

同時代に生き、事態の大きさに気づいたバジョットという人はつぎのように書いている。

現在ではロンドンは諸外国に対する手形交換所であるから、ロンドンは諸外国に対して新しい責任を有している。どういうところであろうとも、多数の人々がそこで支払をしなければならないならば、これらの人々はそこに資金を保有しなければならない。ロンドンにおける外国資金の大量的預金は、今や世界商業にとって欠くべからざるものになる。

W. バジョット『ロンバード街』(岩波書店、1941年)45頁(原著は1873年)(山本・14-15頁からの孫引きです)
Norman Hirst によるバジョットの肖像画

(2)通貨覇権国の責務

このとき、イギリスがいつの間にか負担していた責務とは何か。以下の3つが挙げられると思う。

  ①ポンドの供給
  ②ポンドの信用維持
  ③各国通貨との交換レート(為替レート)の安定

①ポンドの供給

まずはポンドの供給だ。ポンドが世界の基軸通貨である以上、世界経済の発展のためには、世界にポンドが潤沢に出回る必要がある。

この点は、私が勉強していて「ほほう。なるほど」と感じた点で、通貨覇権国の財政を理解するために重要なポイントだと思う。

イギリスの銀行は貸付を行うことによってポンドをつくることができるが、そのポンドが世界に流通するルートはつぎの2つしかない(無償で配ってもよいのだが彼らはそういうことはしないので)。

 ①イギリス国民が海外の製品・サービスを買う
 ②イギリス国民が海外に投資する

後で見るように、イギリスの貿易収支はつねに赤字であり、通貨覇権国となってからは海外投資(資本輸出)が生命線となっていく。「赤字なのに投資で儲けて補うなんて・・(ずるい?)」と感じる人も多いだろう(私だ)。

しかし、現に世界はポンドを必要としており、世界にポンドを供給できるのはイギリスだけなのだ。

おそらく、通貨覇権国である限り、貿易赤字を投資による収益が補うような収支構造になっていくのは(ある程度)必然的であり、そのこと自体は問題ではないのである。

また、産業競争力の低下についても同じことがいえる。

通貨覇権国は、当初はその圧倒的な競争力によって覇権を得るのだが、その力はやがて低下し、せいぜい数ある先進国の中の一つという感じになっていく。

イギリス、アメリカに共通するこの現象も、やはり(ある程度)必然的であり、それ自体は問題とはいえない。

彼らが積極的に海外との貿易や海外投資を行えば、諸外国も相応に成長を遂げていくはずであり、それはむしろ望ましいことなのだから。

②ポンドの信用維持
③為替(通貨交換)レートの安定

一方で、彼らの貿易収支や投資行動、経済的パフォーマンスがどんな状態であっても構わないというわけではもちろんない。

いまや、ポンドを支えている彼らの信用は、基軸通貨を通じて世界の金融秩序を支えている。イギリスの経済的信用が失われるような事態になれば、基軸通貨の信用や為替レートの安定性は損なわれ、直ちに世界経済に波及してしまうのだ。

したがって、問題は、おそらく、赤字の程度であり、投資の質であり、また投資による利潤と実体経済とのバランスである。

要するに、それらがポンドの信用を脅かすことがなく、世界経済の健全な発展に資するような内実を持つものかどうかが問題なのだ。

(3)通貨覇権国の特権

責務の方を先に書いたが、彼らの責任は、彼らがそれだけの特権を持っていることの裏返しでもある。

世界の銀行であるということは、世界中からおかねが集まってきて、その信用を元手におかねを作り、世界中の事業に投資することができるということである。

自分で働かなくても、投資による利子・配当によって利益を得ていくことができるというのだから、これが大変な特権であることは疑いない。

実際、資本輸出(投資)による利子・配当収入は、国内産業の競争力が低下した後のイギリス経済を長く支えていくことになったのだ。

ポンド覇権下の金融システム

私たちの主な関心事であるドル覇権についてみると、いま現在、ドルの信用はかなり危うい。そして、だいぶ前から、通貨交換レート(為替レート)が日々上がったり下がったりするのは日常茶飯事だ(だからFXで儲けたりできる)。

*FXはforeign exchangeの略で、この文脈では外国為替証拠金取引のことを指す。

ポンドが覇権にあった時代はどうだったのであろうか。

(1)通貨交換レート(為替レート)は安定していた

ポンドの時代は、国際金本位制(1880-1914)の時代と同視される。

国際金本位制といっても、国際機関で話し合って制度化したというわけではなく、基軸通貨であるポンドが金本位制を採用していたので、他の国々もそれに合わせて金本位制を採用した結果、そのような体制ができあがったというだけであるが、とにかくこの時代のことをそう呼ぶ。

*ポンドとの交換レートが安定すれば、貿易や投資を呼び込みやすいというのが主な理由で、1870年代末までにヨーロッパの主要国すべてが金本位制に移行した(日本は1897年)。

通貨交換レート(為替レート)についていうと、みんなが金本位制を取っているということは、実際上、固定相場制が採用されているのと同じである。

*例えば、イギリスが金1オンス=4ポンドを平価(交換比率)とし、アメリカが金1オンス20ドルを平価としていた場合、ポンドのドルに対する交換レートが1ポンド=5ドルに固定されているのと同じことになる。

もちろん、みんなで話し合って決めたわけではないので、各国が自分の判断で金に対する平価(交換比率)を変更することは可能であったし、金本位制の「ゲームのルール」を守らないことも可能であった。

*金本位制の「ゲームのルール」: 保有する金の量に合わせて自国通貨の供給量を調整すること。この言葉を普及させたケインズは、(通貨量に対して?)「大量の金を獲得することもなく、また喪失することもなく管理すること」という言い方をしたという。

しかし、この期間においては、イギリスはもちろん、他にもそうしたことを(少なくとも大々的に)行う国はなく、みんなが国際金本位制=固定相場制の維持に協力していたようだ。

なぜ各国が金本位制を採用し、またそのルールを遵守していたのかといえば、通貨交換レート(為替レート)の安定は各国にとっての利益であったからである。

イギリスの後を追う国々にとっては、産業の発展のために、イギリスから機械や鉄道を買い、資本を輸入する(投資してもらう)ことが必要だった。

貿易の中心地であり世界の銀行であるイギリスにとっては、多くの国にイギリスを中心とする多角的貿易機構および決済機構に参加してもらい、物とおかねの自由な移動を確保することが何より望ましかった。

現代では忘れがちな単純な真実だが、日常的に物とおかねをやりとりする間柄である以上、通貨の交換レートは安定していた方がいい。本当なら、同じおかねを使いたいくらいだ。

商品やサービスの価値と無関係の事情で損をしたり得をしたり。そんなことがしょっちゅう起こるようでは、安心して生産に取り組み、商売を行うことなんかできなくなってしまうではないか。

 *今はまさにそういう世界ですが‥‥

そういうわけで、現在の先進国が世界貿易と資本移動を通じた経済発展の只中にあった当時、ポンドの覇権の下で、通貨交換レート(為替レート)は安定していたのである。

(2)イギリス経済は堅調で、ポンドの信用はゆるがなかった

ポンドの信用を支えているのは、イギリス経済の信用である。

すでに述べたように、外国製品の輸入や投資によって世界にポンドを供給するのは通貨覇権国イギリスの責務であって、多少の赤字や、貿易赤字を投資収入で埋め合わせるような構造は問題ではない。

問題は、おそらく、赤字の程度であり、投資の質であり、また投資による利潤と実体経済とのバランスである。

ということで、1880-1914のイギリス経済について、この点を確認しておこう。

拡大する貿易赤字を投資収益が埋める

国際金本位制が確立した頃、貿易立国としてのイギリスはすでに盛りを過ぎていた。

次の表をご覧いただきたい(面倒な方は見なくても構いません)。 

https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11172226&contentNo=1(富田ほか)

輸出入の双方に積極的だったイギリスの貿易収支は最初から赤字(輸入超過)なのだが、経常収支は一貫して黒字である。

当初、貿易赤字を埋めていたのは、貿易にまつわるサービス収支(海運や保険)だった。 

*このサービス収支の黒字はまさにイギリスが世界貿易の要であったことによるものだ。

貿易赤字は一貫して拡大傾向だが、とくに1870年代の後半からが顕著であり、理由としては、工業でイギリスを追い上げていたアメリカ、ドイツ、フランスが自国の産業保護のために輸入品に高い関税をかけたことでこれらの国への輸出が停滞したこと、交通・運輸と食品加工技術の発達で安い農畜産物が大量流入したことなどが挙げられている。

しかしそれ以降も経常収支は黒字で、黒字幅はむしろ大きくなっている。数字を見れば一目瞭然。サービス収支とともにこの時期の国際収支を支えたのは投資収益なのである。

イギリスの資本輸出

「投資によって収益を得る」というとそれだけで悪い人が暴利を貪るような印象をお持ちの方もいると思うが(私ですが)、この時期の投資はまだ比較的健全だった(現在も健全な投資はある)。

終わり頃になると個別企業への株式投資という形態が普及してくるが、それ以前はもっぱら鉄道などの公共事業への長期投資である(↓下の図を参照)。

株式や通貨の短期的な売買を繰り返して利益を得るようなタイプの投資とは質的に異なっていたのだ。

*具体的なやり方はこんな感じ
①イギリスの銀行が外国政府や鉄道会社からの請負で債券(国債や鉄道債)を発行する(銀行は手数料などの収入を得る)。
②イギリスの投資家がそれを買う。
③投資家は債券を長く保有し、利子や配当によって利益を得る。

https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11172226&contentNo=1 
労作!ありがたい(富田ほか)

実体経済と投資のバランス

量的に見ても、当時の資本輸出(海外投資)は外国為替市場のごく一部にすぎなかった。

当時の外国為替市場で行われていた通貨の売買は、ほとんどが商品の貿易に伴うもので、資本輸出額は商品貿易額の10分の1程度に過ぎなかったという(山本・22頁)。

イギリスは貿易赤字の補填を資本輸出に頼っていたが、取引の規模においては商品の売買(貿易)が圧倒的で、海外投資のせいで為替市場が混乱するというような状況ではおよそなかったのである。

(おまけ)現在の外国為替市場

ちなみに、現在の外国為替市場がどんなことになっているかご存じであろうか。

現在の外国為替市場で行われる通貨の売買のうち、貿易やサービスの輸出入、直接投資などの実需に伴う売買は全体の約1割程度にとどまっているという(↓)。

外国為替取引には、輸出入などの実需取引から派生する取引と、国家間における金融資産の売買や投機的な売買などの資本取引から派生する取引がある。2018年末時点では、資本取引に派生する取引が全体の約9割を占める。

みずほ証券×一橋大学 ファイナンス用語集

*なお、資本取引であっても直接投資(経営への実質的関与を伴うもの)は実需側にカウントするようだが、この時期のイギリスの資本輸出は主に(上述のような)国債や鉄道債の購入という形態だったようなので、多くは「資本取引に派生する取引」の側だと思われる。

直接投資と間接投資の区別については、ブリタニカの説明がわかりやすかったので一部引用させていただく(以下「直接投資」)。

経営参加を目的として株式を購入したり、現地の既存企業を買収したり、新たに工場を建設したりする投資をさす。一方、値上がり益や利子・配当所得を目指した証券の購入が間接投資である。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版 2016

2007年の調査だが、実際の数字を入れたつぎのような説明もある。

世界の主要な外国為替市場における取引総額は2007年の調査によると1日あたり約3兆2,100億ドルに達しているが、同年の世界の貿易総額(輸出ベース)は約13兆8,208億ドルであるから、貿易にともなって必要になる外為取引だけなら4~5日分で済むということになる。

金井ほか・221頁

貿易以外の「実需」(サービスや直接投資)は2~3日分だそうなので、全部合わせても約1週間。

つまり、世界中で日々行われている外為取引の圧倒的大部分は、必ずしも実際に外貨が必要なわけではないのに行われているということなのである。

金井ほか・221頁

しかも、全体の9割にあたるとされる「資本取引に派生する取引」のほとんどは、ヘッジファンドなどによる投機的な短期投資だという。要するに、現在の為替相場(通貨交換相場)を動かしているのは、実体経済というより、投機的参加者の思惑なのである。

*こちらのサイトに引用されている池田雄之輔『円安シナリオの落とし穴』(日経プレミアシリーズ、2013)からの情報です。 

「すごい」と思ってイメージ図を作ってみた。左がポンド覇権の下での外国為替市場、右がドル覇権の現在だ(資本輸出の比率は適当です)。

スーザン・ストレンジの言葉の通り、通貨覇権国は、自国通貨(基軸通貨)を管理し、他の通貨との交換レートにも影響を及ぼす。

イギリスが管理をしていたのは紛れもなく世界の商取引のための市場であった。しかし、現在、アメリカが管理している市場は、ほとんど賭博場である。

世界貿易のための市場がカジノに変わるまでに何があり、この世界がどう変化したのか。

それを追っていくのが次回からのテーマということになるのかもしれない。

まとめ

  • 世界貿易の中心地イギリスに発達した国際決済サービス(ポンド建て)を通じ、ポンドが基軸通貨の地位を獲得した。
  • イギリスは、世界中から集まるおかねに基づく信用により「世界の銀行」の地位を得た。
  • イギリスが得た主な特権は(信用を元手とした)資本輸出による利子・配当収入だった。
  • 国際金本位制の下、外国為替相場(通貨交換相場)は安定し、世界経済の発展に役立った。
  • 当時の外国為替取引の大部分は貿易に伴うもので、資本輸出はその10分の1程度にとどまっていた。
  • その資本輸出も長期投資が中心堅実なものであり、相場を撹乱する要因となることはなかった。

主な参考文献

  • 山本栄治『国際通貨システム』岩波書店 1997
  • 上川孝夫・矢後和彦『国際金融史』有斐閣 2007
  • 金井雄一・中西聡・福沢直樹『世界経済の歴史』名古屋大学出版会 2010
  • 石見徹『国際通貨・金融システムの歴史 1870-1990』有斐閣 1995
  • 西村陽造・佐久間浩司『新・国際金融のしくみ』有斐閣 2020
  • 奥田宏司・代田純・櫻井公人『深く学べる国際金融』法律文化社 2020
  • 秋田茂『イギリス帝国の歴史』中公新書 2012
  • ミシェル・ボー『増補新版 資本主義の世界史』藤原書店 2015
  • 富田俊基・篠原照明・永戸一彦・山本美樹子「19世紀イギリスの資本輸出」大蔵省財政金融研究所「ファイナンシャル・レビュー」March-1987

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「弱肉強食」の真実

目次

はじめに

「アメリカ II」の中で、家族システムにおける「権威」が果たす機能の第一は秩序維持であると書いた

権威には秩序維持機能があるという想定の下、「権威が確立していないとどう困るか」についてはこう書いている。

限られた領域に大勢の人間が暮らしている場合、少なくとも最小限の秩序維持機能は絶対に必要といえる。それがなければ、弱肉強食、血で血を洗う抗争の世界となってしまうから。

このとき私が想定していた「弱肉強食」の世界とは、殺人やら喧嘩闘争が頻発する世界、要するに、無秩序が支配する世界だった。

しかし、その後、いわゆる未開社会(=原初的核家族)の事例をいろいろ読んでいて、「あれ?」と思うようになった。

そこはたしかに「弱肉強食」の世界ではあった。しかし無秩序かといえば無秩序ではない。何というか、秩序そのものが「弱肉強食」の原理に従っているのだ。

原初的核家族がもたらす「不正な秩序」

「権威の不在→無秩序」という想定は、秩序には「正しさ」が含まれることを暗黙の前提としている。

だからこそ、私は権威(「正しさ」の基盤である)が確立していない社会では、秩序の維持は困難であろうと考えたのだ。

広辞苑で「秩序」を引くと、最初の説明はこうである。

①物事の条理。物事の正しい順序・筋道。次第。

これでいくと、「秩序」とは何かしら「正しい」ものであり、権威がなければ秩序は築けないということになりそうである。

他方、Oxford Dictionary of Englishで ”order” を引くと、その大元の意味はつぎのように説明されている。

1 the arrangement or disposition of people or things in relation to each other according to a particular sequence, pattern, or method:  

こちらの説明では、人間や物事同士の関係が何らかの順序、パターン、方法にしたがって配置・整理されていれば「order」といえるのであって、それが「正しい」ことは必要ではない。

言われてみればその通り。

日本人(広辞苑や私)の思い込みとは違って、たしかに、「正しさ」(したがって権威の裏付け)がなくても、秩序の維持は可能だ。

強い者が有利な立場を得て、弱い者がいろいろと我慢を強いられる。その弱肉強食の状態をそのまま固定してしまえばよいのである。その状態は「不正」ではあるが、無秩序ではない。

実際、いろいろ見てみると、権威の確立していない社会がもたらしがちなのは、無秩序というよりは「不正な秩序」のようなのである。

「不正な秩序」が生まれるとき

農耕を始め、定住し、人口が増え、土地が不足し、利害関係の調整が必要となったような場合、共同体は、何らかの形で権威を組み入れた家族システムを発展させ、「正しい秩序」を可能にするのが普通だろう。

しかし、この世界では、原初的核家族を営む人々のもとに、ふいに外部から文明が現れ、複雑な利害調整が必要な状況に追い込まれるということもありうる。例えば、未開社会に西欧の人々が踏み込んできて、奴隷貿易を持ちかけてくるとか。

*奴隷貿易に関しては西欧の側の「不正」ぶりも興味深いが、ここでは未開社会の側に着目する。

突然巨大な権益を投げ込まれた未開社会は、一時の無秩序を経て、秩序形成に向かう。しかし、社会の基層をなすシステムの中に、複雑な事象を「正しく」処理するのに必要な「権威」は確立されていない。

そういうときに何が起こるか。デヴィッド・グレーバー『負債論―貨幣と暴力の5000年』(以文社、2016年)が紹介する事例を見てみよう。

大西洋奴隷貿易と西アフリカ

大西洋奴隷貿易は15世紀に始まり19世紀まで続いた。17世紀後半までには、ヨーロッパの6つの帝国(イギリス、デンマーク、オランダ、フランス、スペイン、ポルトガル)による三角貿易の仕組みが確立し、現地の社会を揺るがせることになる。

wiki掲載の図に加筆(https://ja.wikipedia.org/wiki/大西洋奴隷貿易

①ヨーロッパの工業製品(布、雑貨、武器など)がアフリカへ
②アフリカの奴隷がアメリカへ
③アメリカの一次産品(銀、砂糖、綿花、タバコなど)がヨーロッパへ
 

ヨーロッパの各種製品や武器の流入が西アフリカ社会に大きな影響を与えたことは、この時期以降に諸王国が興隆した事実にみてとれる。オヨ王国やアシャンティ王国、ダホメ王国(現在のベナン共和国の場所)などである。

ダホメ王国の王と女官たち 

西アフリカでの奴隷の調達は、最初のうちは、純粋な暴力が中心だった(戦争の捕虜とか、適当に拉致して連れ去るとか)。アフリカの商人がヨーロッパの商人から信用取引で商品を購入する際に、信用の担保として人質を提供し、その人質が債務不履行によって奴隷として売られていくというパターンも多かったという(債務不履行を待たずに連れ去られてしまうケースもあった)。

しかし、奴隷貿易はやがて、アフリカの権力者や有力商人にとっても、富と権力の源として「なくてはならないもの」に成長する。すると、彼らは、組織的かつ合法的に、地域の住民を奴隷に変えて、ヨーロッパの商人に売り払う仕組みを作り上げていくのである。

奴隷調達のための「不正な秩序」

ダホメやアシャンティといった王国では、統治者は、犯罪に対する刑罰として、本人の奴隷化や「本人の死刑+家族の奴隷化」を定めたり、とてつもなく高額の罰金を課して支払えない場合に本人と家族を奴隷にする、といった方法で奴隷を調達したという。

王国といえるほど発達していない地域では、長老や有力な商人が同様の司法体系を整備し、罪を犯した者を(比較的軽微な罪であっても)奴隷として売り飛ばした。訴えた者は一定の代金を得る仕組みであったので、長老などの協力を得て、無実の罪がでっち上げられることも少なくなかったという。

後者のケースで(国の行政組織に代わって)大きな役割を果たしたのは、商人のリーダーたちが作る秘密結社であった。この秘密結社(エクペ(Ekpe)という)は、神秘的な教義を伝授したり、大掛かりな仮装パーティーを主催することで知られていたが、その裏で、極秘の任務を遂行していた。債務の取り立てである。彼らは債務を支払えない者に対して、(組織的な)取引拒否から、罰金、差し押さえ、逮捕、処刑に至る各種制裁を実行する権限を有していた。

南ナイジェリアのekpeのコスチューム(詳細は不明)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Egbo_Secret_Society,_Mgbe,_Etuam,_Egbo,_South_Nigeria_Wellcome_M0005360.jpg

秘密結社エクペの会員であることは名誉と風格の証とされ、誰もが会員になることを望んだ。果たして、エクペには、等級別に異なる入会金を支払いさえすれば、誰でも加入することができたのだ。

入会金は高額だったが、金を用意できればメンバーになれる。そこで、多くの人々が、商人に借金をして高額の入会金を払い、エクペに加入した。彼らはまた、仮装パーティーで使用する道具や衣装を作るためにも、商人から金を借りた。

こんなのを作ったのかもしれません。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:British_Museum_Room_25_Mask_Ekoi_people_17022019_5015.jpg

エクペに憧れ、借金をして入会し、やはり借金をして衣装を作った人々。彼らがこの借金を返せなかったらどうなるか。

彼らはいまやエクペの一員であるため、債務者であると同時に、自ら債務取り立ての任務も負っている。彼らは、自分の家族や従僕を人質として差し出す代わりに、エクペの一員であるという地位を利用して近隣の村を襲い、子どもや大人、財物、家畜などあらゆるものを強奪して、それを代わりに差し出すことで許しを得ようとした。

*この場合、襲われた人々は、何の正当な理由もないのに、奴隷として売られていくことになる。

責任を他人に押し付けるこの作戦は成功することもあったが、しないこともあったという。後者の場合、結局は、自分の子ども、家族、従僕、最後には自分自身まで差し出すよう強いられ、手枷足枷をはめられて、奴隷として売られていったのである。

エクペのメンバーになりたくて、商人から金を借りたばっかりに、一族郎党が殺され、あるいは奴隷として売り払われていく。そんな仕組みが確立されて、長期間保持されていたのだ。

「人肉債務」の物語

こうした奴隷調達システムが現地の人々の心性にどんな影響を与えていたかを示すものとして、ティブ族の信じる「人肉債務」の話がある。

ティブ族(Tiv)は1750年ごろ(ちょうど奴隷貿易が活発であったころだ)からナイジェリアのべヌエ川流域に居住する部族で、20世紀中頃に人類学者による調査が行われている。

あきらかに、ティブ族には権威の形成にかんして大きな問題があった。

グレーバー『負債論』227頁

ティブ族の間には、公式の政治機構は存在せず、人々は平等主義的で、あらゆる形式の主従関係について懐疑的だったという。それぞれの村落は、一人の長老(=カリスマ性のある実力者)が絶対的な権力をふるうことによって、その秩序を維持していた。典型的な原初的核家族の世界である。

ティブ族の人々の間では、人肉を食べることで特別なカリスマを得る妖術師=殺人鬼の存在が信じられていた。人々は、政治的な指導者になるような有力者はみなこの妖術師なのではないかという疑惑に取り憑かれていたという。

妖術師は結社を組織していて、結社は、つねに新しい成員を求めている。成員を獲得する方法は、だまして人肉を食べさせることである。妖術師は、候補者を食事に招き、こっそり人肉(妖術師が妖術師自身の家族を殺し、その肉を混ぜるとされている)を食べさせる。

うっかり人肉を食べてしまった者は、結社と「人肉負債」の契約を結んだことになり、自らの肉を提供するよう言われる。それを逃れる唯一の方法は、自らの家族をかわりに差し出すことである。彼は、妖術師の指図通りに、兄弟、姉妹、こどもたちを一人一人殺していかなければならないのだ。

「人肉負債」は、はてしなくつづく。債権者はいくどもやってくる。‥‥すべての係累を失い、家族が全滅するまで「人肉負債」から逃れられない。かくして、債務者は、みずからおもむいて横たわり、屠殺され、そこで負債からついに解き放たれるのである。

グレーバー・226頁

このストーリーが何を示唆しているかは明らかだろう。先ほどの秘密結社の影響力がティブ族の地域にまで及んでいたのかどうかは(本を読んだ範囲では)はっきりしない。

*グレーバーは「〔彼らが〕なぜそんな強迫観念に脅かされていたのかというと、2、300マイル離れたところの住人たちの身にそれが文字通り起こっていたからである」としか述べていない。

しかし、私は、ティブ族の有力者の中にも秘密結社のメンバーになったり、周辺地域の秘密結社と関わりがある者がいたのではないかと想像する。

ティブ族の人々は、隣人である有力者の手引きによって、いつ何時、債務不履行、あるいは押し付けられた負債によって、自分やその家族が奴隷として売り払われてもおかしくないという秩序の下で暮らしていた。

そうした事態が現実化することへの恐怖が、妖術師による「人肉負債」の物語を生んだのではないだろうか。

巨大な権益を得た原初的核家族の一般理論

奴隷貿易にまつわるこうした「不正な秩序」の発生は、西アフリカに特異な事例というわけでは決してなく、むしろ、西欧の商業文明と接した未開社会では通常のことだったという。

支配者が(でっち上げを含む)犯罪や債務を理由に臣民を従属させ、奴隷として外国人に売り払って富を築く。「弱肉強食」の自然的事実をそのまま糊で固めたような社会制度は、奴隷貿易の対象となった各地域に確立し、100〜数百年にもわたって営まれていた。

*グレーバーの本では、東南アジアの山間部やバリ島の事例が紹介されている。

権威が確立されていない社会では、強さと正しさは同義である。巨大な権益を手にした強者はそれを正当な自分の取り分であると信じ、弱者の側もそれを信じる。おそらくはそんな単純な仕組みによって、「不正な秩序」は確立され、維持されていくのだと思われる。

原初的核家族のもとに巨大な既得権が発生したとき、必ずといってよいほど「不正な秩序」が形成されるという事実は、この世界を隈なく理解したいと願うわれわれにとって、非常に示唆に富んでいる。

何しろ、現在の世界の秩序は、二度の世界大戦でヨーロッパ列強が凋落した結果、さほど強く望んだわけでもないのに、いつの間にか巨大な権益を手中にしていた原初的核家族を中心に形成されてきたものなのだから。

おわりに

私がグレーバーの本を手に取ったのは、一つには、アメリカの金融覇権とはいったい何なのかを理解するためだった。

なぜ(日本を含む)西側諸国はこれほどまでにアメリカに従属することとなり、なぜグローバルサウスはドルの支配から逃れようとしているのかを、何となくではなく、はっきりと理解するためだった。

グレーバーを読み、さらに調査を進めて分かったことは、現在の金融秩序はかなりデタラメだということである。デタラメで、めちゃくちゃで、まあ、特にアメリカ、それから(ある程度)その同盟国である西側諸国に都合のよい仕組みである。

ただ、じゃあ、アメリカは巨大な悪の帝国で、緻密な計画に基づき周到に準備してこの仕組みを作り上げてきたのか、といえば、そういうわけでもなく、どちらかというと、あまり深く考えず、短期的に見た自己利益を最大にするべく、そのつどそのつど行き当たりばったりで策を講じてきたら、壮大な「不正な秩序」が確立されていた、という感じなのだ。

そのやり方は、まさしく突然巨大な権益を手に入れた原初的核家族のものであり、もう笑うしかない。しかし、被害者の側面もありつつ、グローバルサウスと呼ばれる地域との関係では明らかに受益者側であるわれわれは、やはり、その仕組みをしっかりと理解して、世界と、それからとくに若い人たちと、認識を共有する必要があると思う。

もうすぐシリーズが始まります。
お楽しみに。

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世界を学ぶ 戦時下日記

ユーラシア大陸の中心で起きていること
ー戦時下日記(6)

西アジア中国を震源地として、本当に重要なことが起きていると思うのでまとめておく。

*以前、イランのハメネイ師が「ここは西アジアだ。中東などではない」と言っているのを聞いて「なるほど」と思ったので、西アジアを採用する(「中東」とか「極東」はヨーロッパを基準点とする言い方である)。

1 西アジアー和解に次ぐ和解

【予備知識】西アジアにおけるアメリカ

・アメリカは、冷戦終結後もロシア・中国・イランを敵視し、これらの国と良好な関係を保つ国々(イラク、北朝鮮、シリア、リビア、イエメン、ソマリア)で、政権転覆等を目的とした代理戦争を展開してきた(主な手段は武力攻撃と経済制裁)。

・アメリカの西アジアにおける最重要同盟国はサウジアラビア。サウジは長年イランシリアと対立して西アジア・アラブ世界で両者を孤立させ、アメリカの利益に貢献してきた。

・西アジアでの紛争状態の継続は、アメリカの利益(石油資源確保、武器輸出拡大、影響力保持)に合致した。

・もっとも破壊的な影響を受けたのはシリア

ーアメリカはアサド政権に「専制主義」のレッテルを貼り打倒を目指している(事実は異なる。アサド政権のシリアは世俗国家であり、近隣の王制国家と比べはるかに民主的)。

ーアメリカは2011年の反政府運動(「アラブの春」の一部)を契機に勃発した内戦で反政府側を強力に支援してきた。西アジア諸国ではサウジ、トルコ、カタールが反政府側。

ーアメリカは2015年から正式にシリアに駐留を開始。現在も一部を占領し、経済制裁も続けている。

ーISISとの戦いというのは口実に過ぎず、①中国、ロシアとの経済的関係(シリアはこれらの国に石油を売り武器を買っている。アメリカはこれらの国に石油を売ってほしくなく、また自国の武器を買ってほしい)、②イランとの政治的友好関係(アメリカは2010年に「イランとの関係を解消すればその見返りとして経済制裁を中止する」とシリアに提案して断られている)、③政権転覆(アメリカはアサド政権を倒しアメリカに従順な政権に変えたい)が主な目的と見られている。 

(1)サウジアラビアとイランの和解

・そういうわけで、サウジを中核とするイラン・シリア包囲網の構築がアメリカの西アジア政策の肝であったが、3月以降、この包囲網が一挙に瓦解をはじめ、西アジアに平和が訪れようとしているようなのである。

・3月10日、サウジとイランは外交関係正常化(7年ぶり)で合意した。共同声明は3カ国の連名でもう1国は中国。3カ国は北京で4日間に渡って協議を行ったとのこと。中国政府が仲介役を果たしたのである。

・アメリカは「イランが履行義務を果たすかが問題」とか言っていたようだが、履行に向けた動きは着々と進んでいることが窺える。

・4月6日にはサウジとイランの外務大臣が北京で会談して大使館の再開に向けた合意を締結。サウジの国王はイラン大統領をサウジに公式に招待し、大統領もこれに応じたという。

この記事を大いに参考にしました

(2)サウジーシリア関係にも和平が波及!

・3月末、サウジとシリアが外交関係の正常化に合意したことが伝えられ、4月18日にシリアでサウジ外相とアサド大統領が会談した。

・サウジは5月に開催されるアラブ連盟の首脳会議にアサド大統領を招待する方針とのこと。

アラブ連盟からの排除(ヨーロッパの国がEUから除名されたようなものだろう)というのが、アメリカの意向に基づく「シリアの孤立」の象徴のようなものだったので、これは本当に大きな動きなのだ。

シリアの外務大臣は4月1日はカイロを公式訪問している(4月12日にはサウジ。いずれも12年ぶりとのこと)。サウジ、エジプトというアラブ連盟の二大大国がシリアを歓迎していることが窺える動き。

・この動きの前提には、シリア内戦でアサド政権側がすでに勝利を決定的にしていて、周辺国がアサド政権の正統性を認めているという事実があるらしい。実際、サウジとの関係正常化に先立つ今年2月に、レバノンチュニジアアラブ列国議会同盟に属する各国の議員たちが相次いでシリアを訪問していた。

・そうした事実を前提に、仲介役を果たしたのはロシアであるらしい。

今年3月のモスクワでの会談の様子https://www.france24.com/en/middle-east/20230315-assad-meets-putin-in-moscow-as-syrians-mark-12-years-since-anti-regime-uprising
今年3月のモスクワでのアサド・プーチン会談の様子
https://www.france24.com/en/middle-east/20230315-assad-meets-putin-in-moscow-as-syrians-mark-12-years-since-anti-regime-uprising

・3月20日-21日には非常に印象的な習近平のモスクワ訪問があったが、そのときにこうしたことも話し合われていたに違いない。

・ちなみに中国はイスラエル-パレスチナ和平の仲介にも積極的な意向を示している(さすが共同体家族だ)。

*ところでシリア情勢とくにアサド政権について日本語で出回っている情報は「専門家」とか「現地で取材したジャーナリスト」のものを含めてほとんど嘘ばっかりだと思います。私はまず元外交官の国枝昌樹さんが書いたこの本(↓)を読んで「世間で言われていることは全然間違ってるっぽい」ということを知り、以後は情報を海外の非主流メディアに求めています。

国枝昌樹『シリア アサド政権の40年史』(2012年、平凡社)
この記事ではこのスレッドを大いに参考にしました。

*内戦前のシリアの美しい街並みを紹介したこちらの記事もとてもおすすめです(写真しか見ていません)。

https://www.theatlantic.com/membership/archive/2018/04/remembering-syria-before-the-war/558716/

(3)イエメンも?

イエメン内戦にも波及効果が期待できるという。

・イエメン内戦は、一般に「暫定政府軍」とシーア派の武装組織「フーシ派」の戦いとされている。前者の背後にはサウジがいて、かなり積極的に関与しているという。

・一方、世間では、フーシ派の背後にはイランがいるとされているが、アメリカが主張するほどイランが積極的に関わっているわけではないらしく、まだよくは分からないのだが、実態はサウジ=アメリカが扇動する戦争ということなのかもしれない。

・いずれにしても、サウジとイランの関係が改善するなら、イエメン内戦の終結は十分に期待できるのだ。

・4月14日から16日に行われた捕虜の交換は、両者の間で対話と妥協が成立しつつあることをうかがわせる。

・4月8日にはサウジの代表団停戦協議のためにイエメンを訪問し、次回の協議は4月21日に行われるという。

サウジはイエメン南部の港における輸入品の封鎖措置を解除することを発表、イランはフーシ派への武器送付を停止し、フーシ派にサウジへの攻撃を止めるよう圧力をかけることに合意したと報道されている。

サウジはイランがイエメンから手を引くなら、サウジはイラクとシリアから手を引くと約束したともされており、これが実行されるなら、本当に、シリアにもイエメンにも同時に平和が訪れるということになるだろう。

フーシ派のリーダーと握手するサウジ代表団

(4)アメリカだけが嬉しくない

アメリカは、イランおよびシリアとの和平に向けたサウジアラビアの動きを「不意打ち」と非難しCIA長官ウィリアム・バーンズをサウジに送り込んでいる。

https://www.businessinsider.com/cia-director-visited-saudi-mend-tattered-relations-mbs-report-2022-5

・しかし、サウジはもうずいぶん前から明確に「中立」の姿勢を打ち出し始めている。

・2021年には上海協力機構に対話パートナーとして加盟(今年の3月にサウジ議会も承認)、BRICSへの参加を目指していることも伝えられている。

・ウクライナ紛争では対ロシア制裁への参加を拒否した上、ロシア産原油の輸入量を2倍に増やし、対ロ制裁の効果を高めるためのアメリカからの石油増産要請すら拒絶している(大幅に減産した)。

・「中立」とは、この文脈では、アメリカの一極支配ではなく中国やロシアが推し進める多極化した国際秩序を支持するということなので、サウジは明確にアメリカに反旗を翻しているのだ。

2 ルーラは動く(中国訪問)

もう一つ、重要だと思うのは、ブラジル大統領ルーラの中国訪問である。

ルーラは3月下旬に中国訪問の予定を直前にキャンセルし(「本人の病気」が理由)、「むむ、怪しい‥(アメリカに懐柔されたのか?)」などと思っていたが、4月12日-15日に訪中が実現。

私の疑念を大いに払拭するハイテンションで、多極的世界に向けた意欲を語っていた(そして中国の人々に大喜びされていた)。

中国でのルーラの発言はすごい。

ウクライナ情勢については「アメリカは戦争をけしかけるのを止めて、停戦協議を始めるべきだ」。

*この発言についてアメリカは不快感を示し、ロシアは賞賛している。

*なおブラジルは、今年3月にロシアが国連安全保障理事会にノルド・ストリームの爆破について調査するよう求めた際、ロシア、中国とともに決議案に賛成している。

おまけに、ドルの覇権にはっきり疑問を呈する発言もしているのだ。

私は毎晩考えます。いったいなぜ全ての国が貿易をドルベースで行わなければならないのかと。なぜ私たちは自国の通貨で取引をすることができないのでしょうか。金本位制の後、ドルを基軸通貨にすると誰が決めたのでしょうか?

https://www.france24.com/en/americas/20230414-brazil-s-lula-criticises-us-dollar-and-imf-during-china-visit

中国とブラジルは3月に両国間の貿易を中国元ブラジル・レアルで行うことで既に合意していた(同様の動きは中国、ロシアの周辺のあちこちで出てきている)。ルーラはこれがドルの支配から抜け出すための動きであることを非常に明確に語ったわけである。

今まで中南米では、アメリカに抵抗し、なかでもドルの覇権に抵抗する動きを見せた為政者は、必ずアメリカの手によって倒されてきた(と分析する記事を読んだことがある)。

ルーラ自身も前回の大統領の任期中に汚職の罪をでっち上げられて投獄されているのだ(CIAの関与があったとされている)。

ルーラにせよ、サウジにせよ、彼らの行動をアメリカがどのように受け止めるかは熟知しているはずである。

それにもかかわらず、これほどあからさまに動くということは、彼らが「潮目は変わった」と見ていることを示していると思われる。

彼らは、「現在のこの世界では、もはやアメリカに従順に従う必要はない。いや、むしろ従うべきではない」と考えているのだ。

西アジア中南米、そしてアフリカがはっきりとアメリカ(ないし西側)一極支配体制から離脱する動きを見せている。

アメリカおよび西側は、もはや信頼に値するリーダーとはみなされていない。それだけで、すでに、アメリカ(および西側)の覇権は終わっているといえると思う。

中国側は歓迎式典で(アメリカが支援していた)ブラジルの軍事政権時代の
抵抗運動を象徴する曲を演奏してルーラを驚かせたという

3 おわりに

ウクライナは膠着状態(勝ち目はない)、西アジアにおける影響力を中国、ロシアに奪われ、グローバル・サウスがドル覇権体制から離脱する‥‥となると、アメリカは台湾問題で賭けに出るしかない、という感じがいよいよ強まる。

日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドは、ギリギリまでアメリカに従って動き、最後の最後に引導を渡す、というような役回りであろうか(このツイートの動画が面白かったです。是非↓)。

ちゃんと考えている人がいるといいなあ。

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世界を学ぶ 戦時下日記

(翻訳)メディアと国家
-アメリカの場合-

以下は、Caitlin Johnston, The US Could Use Some Separation Of Media And State の翻訳です。何かすごく新しいことが書いてあるわけではありませんが、「へー」と思うことが(私は)いくつかありました。お役に立てば幸いです。 

目次

アメリカ政府とメディアの間に線引きはない

アメリカ国務省の報道官ネッド・プライス(写真↓)に代わってマシュー・ミラーが就任した。プライスと同様、ミラーは以前からアメリカ政府とマスメディアの双方に深い関わりを持つ人物である。プライスは元CIA職員でオバマ政権の国家安全保障会議のスタッフ、NBCニュースのアナリストとしても長年活躍した。ミラーはオバマ政権、バイデン政権で働き、MSNBCのアナリストも務めていた。

Ned Price
元CIA職員、オバマ政権のNSCスタッフ、NBCニュースのアナリスト

他の政府高官と同様、アメリカ帝国がしでかすロクでもない物事をまるでよいことのように語り、都合の悪い質問には遠回しな言葉遣いで煙に巻き何も答えないことがミラーの職務となるだろう。これは、なんと偶然にも、主流メディアのプロパガンダたちの仕事と本質的に全く同じである。

ジャーナリズムの学校では、政府とメディアの間には明確な一線があると教えられる。ジャーナリストの仕事は政府の責任を追求することである。ジャーナリストが政府高官と友人関係にあったり、政府で仕事をすることへの期待を持つことは、明らかな利益相反であると。

しかし、世界でもっとも強力な政府と、世界でもっとも影響力のあるメディア・プラットフォームの最上層においては、メディアと国家の間の一線は事実上存在しない。彼らは政権交代に応じてメディアと政府の間をまったくシームレスに行ったり来たりするのである。

 

ホワイトハウスの報道官たち

ホワイトハウスの報道官では、政府とメディアの一体性はよりいっそう明瞭である。現報道官のカリーヌ・ジャンピエール(↑)はNBCニュースとMSNBCの元アナリストであり、前報道官のジェン・サキ(↓)は現在MSNBCで自分の番組を持っている。サキはホワイトハウスの報道官を務める前はCNNのアナリストとして働き、その前はプライスやミラーと同じく国務省の報道官だった。

ニュース関連のスタートアップ企業Semaforの最近のイベントで、自分をジャーナリストだと思うかと問われたサキは、思うと答えて次のように述べた。

私にとって、ジャーナリズムとは一般の人々に情報を提供し、明確な理解を助け、わかりやすく説明することです。

これはちょっと笑える。サキの党派(民主党)は、過去7年間、ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジはジャーナリストではないと猛烈に主張し続けてきた。リベラルの脳内では世界最高のジャーナリストはジャーナリストではなく、ジョー・バイデンのスポークスマンはジャーナリストなのだ。「わかりやすく説明する」能力が高いというだけの理由で。

もちろん共和党も

この現象が民主党と協力メディアに特有のものという誤った印象を与えてはいけないので、共和党関連の事実を付け加えておこう。

トランプの報道官サラ・ハッカビー・サンダース(↑)は、その職を辞した直後にFox Newsに仕事を得て、今はアーカンソー州の知事になっている。もう一人のトランプ政権報道官、ケイリー・マッケナニー(↑右)は、今はFox Newsで働き、以前はCNNに勤めていた。

報道によると、トランプの初代報道官ショーン・スパイサーは、ホワイトハウス勤務後にCBSニュース、CNN、Foxニュース、ABCニュース、NBCニュースの仕事を得ようとしたが、すべての会社から断られた。誰からも好かれていなかったのがその理由だという。

情報統制を政府に指示する米メディア

メディアと国家の間に明確な線引きがない以上、アメリカのメディアは、西側が声高に「専制主義」と非難するロシアや中国の国営メディアと有意の違いはないといえる。

唯一の違いといえば、専制主義国家では政府がメディアをコントロールするが、自由民主主義国家では政府がメディアである(政府とメディアが一体)ということだろう。

ジャーナリストのマイケル・トレイシーはツイッターで、国防総省からネット上に流出した文書に関する今日の国防総省の記者会見でメディアから出された質問がすべて、文書に記載された情報に関するものではなく、国防総省がその文書の流出を防げなかった過ちに着目したものだったことを指摘している。

ジャーナリストとして政府からもっと多くの情報を得て真実を明らかにしようとする代わりに、彼らはなんと重要な情報がジャーナリストの手に渡るのを防ぐ措置を取るよう政府に働きかけているのだ。

こうなると、全体主義国家と自由民主主義国家の違いとして、もう一点を指摘せざるを得ない。全体主義国家では政府がメディアに不都合な情報を出さないよう指示するが、自由民主主義国家では不都合な情報を出させないよう、メディアが政府に指示するのである。

ペンタゴンの機密文書漏洩者を特定したのはNYタイムズの記者集団 

ペンタゴンの文書をリークしたとされているJack Teixeiraという21歳の州兵はFBIに逮捕される前にニューヨーク・タイムズ紙に追跡されすでに名前が挙がっていた

ニューヨーク・タイムズは数十人の記者を集めてチームを作りリークの犯人を追い詰めた。その際にはアメリカ帝国が出資するプロパガンダ会社Bellingcatからの情報も用いていた。

本来連邦の捜査官だけに義務付けられたこの仕事を最初に引き受けたのは主流メディアの記者だったのだ。FBIさながら、機密情報を漏らした人間の自宅のドアを蹴り破り、その飼い犬を撃つニューヨーク・タイムズの記者達は、私たちからほんの1、2クリックのところにいる。

Twitterのラベリング

この間、国のプロパガンダ機関であるNPRは、Twitterが彼らのアカウントに「政府の資金提供(Government Funded)」という正しいラベルを貼ったことに癇癪を起こしている(その前は「アメリカ政府系メディア」(US state-affiliated media)でこちらも正しい)。

笑わせるのは、NPRが「ツイッターはわれわれが編集上の独立性を持っていないという虚偽の情報を示唆することでわれわれの信頼性を損なっている」という理由で怒ってTwitterを退会したことだ。NPRには損なうだけの信頼性などもともとないのに。

最近論じたように、NPRはアメリカ政府からの資金援助を受け、一貫してアメリカ政府の利益に合致する情報を流している。NPRを経営しているのは、アメリカ政府の対外プロパガンダネットワークであるUS Agency for Global Mediaの元CEOである。こうした点からすると、「政府の資金提供」というラベルは相応しいとは言えない。むしろロシアや中国の国営メディアと全く同じラベルを貼るべきである。実質的に違いがないのだから。

 

Voice of Americaの「独立性」

もっと笑わせるのは、アメリカの文字通りの国営メディアであるVoice of Americaが同じく「政府の資金援助」というラベルに異議を唱えてNPRに(全く無意味な)連帯を示していることである。Voice of AmericaはNPRの苦境を伝える「ニュース」の中で次のように書いている。

VOAの広報部もまたこのラベルはVOAは独立のメディアではないという誤った印象を与えるとしてTwitterの決定に反対している。

TwitterはVOAのコメント要請に応じていない。

VOAはU.S.Agency for Global Mediaを通してアメリカ政府の資金提供を受けているが、編集の独立性は規制とファイアーウォールによって守られている。

VOAの広報担当ディレクターであるブリジット・サーチャックは次のように述べている。

「『政府の資金提供』というラベルはミスリーディングであり、『政府が管理している』と解釈されるおそれがある。VOAは間違いなくそうではない。」

「我々の編集上のファイヤーウォールは、法律に明記されており、ニュース報道と編集の意思決定プロセスにおいて、いかなるレベルの政府関係者からの干渉も禁じている。

「この新しいラベルはVOAのニュース報道の正確さと客観性について不当で是認できない懸念を呼び起こすものであり、VOAは引き続きTwitterと協議しその違いを訴えていく所存である”。」

Branko MarceticがTwitterで指摘したように、VOAの「編集の独立性」に関するこれらの主張は、35年間同機関に勤務した人物によって真っ向から否定されている。

コロンビア・ジャーナリズム・レビューの2017年の記事「Spare the indignation:Voice of Americaに独立性はない」において、VOAのベテラン、ダン・ロビンソンは、VOAのような機関は通常のニュース会社とはまったく異なり、政府資金を受けるためにアメリカの利益を促進するための情報を流すことが期待されているという。

私はVOAで約35年間、ホワイトハウス特派員長から海外支局長、主要言語部門の責任者まで務めたが、以下の2点を長期に渡る真実として断言することができる。第一に、アメリカの政府資金を受けたメディアの運営は深刻な問題を抱えている。それはオバマ大統領が2017年度国防授権法に署名したときにクライマックスに達し、議会における超党派の改革努力を促した。第二に、議会やその他の場所において、継続的な資金提供を受けている以上、これらの政府系放送局は、国家安全保障機構の一部として、ロシア、ISIS、アルカイダなどとの情報戦の支援により積極的に関わるべきだという合意が広範に成立しているということだ。

*「第一に」からのくだり(とくに「それは‥」の文))の翻訳はあまり自信がないです。超党派の改革努力というのはこれのことかもしれません。

メディアと国家、企業と国家の分離が必要だ

至る所に、西側の人々が情報を得ているニュースメディアとアメリカ政府との間の広範かつ密接なつながりを見てとることができる。

おまけに、アメリカのメディアを所有ないし影響力を持つ富裕層と政府の間にも実質的な線引きは存在しない。企業が政府の一部であるなら、企業メディアが国営メディアとなるのは当然のことといえる。

もし、メディアと国家の分離、企業と国家の分離の原則が、政教分離原則と同等に重要視されていたら、アメリカは間違いなく全く異なる国になっていただろう。

国内では自国民を貧困に陥れ抑圧し、海外では人々を爆撃して飢餓に追い込む。そんな狂人めいた現在の政治体制をアメリカ国民が支持している理由は、その支持が政府と事実上一体であるメディア階級によって捏造されたものだということ以外にありえない。

メディアがその本来の場所に置かれ、政府に対峙しその行動を監視する役目を果たすなら、国家の諸問題の根底にある力学が国民の目に明らかになることだろう。

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戦時下日記

アーダーン首相はなぜ辞めたのか

はじめに

ジャシンダ・アーダーンがニュージーランド首相の辞任を発表したとき(2023年1月)、驚くと同時に「あ、あれか?」と思い当たることがあった。

古い話になってしまったが、日本にとって大事なことだと思うので書く。

訪米(2022年5月)

2017年に弱冠37歳で首相に就任したアーダーンの政治姿勢に私は何となく好感を持っていた。

それだけに、2022年5月31日、バイデン米大統領とのワシントンでの会談後の共同声明をテレビで見たとき、ちょっとがっかりしたのを覚えている。以下はロイターの記事から引用。

会談後に出した共同声明では、中国とソロモン諸島の間で合意された安全保障協定に懸念を示した。「われわれの価値観や安全保障上の利益を共有しない国家が太平洋に永続的な軍事プレゼンスを確立することは、この地域の戦略的バランスを根本的に変え、(米NZ)両国にとって国家安全保障上の懸念となる」とした。

 

https://jp.reuters.com/article/usa-newzealand-idJPL4N2XN3Q3

このときにはもちろんウクライナ戦争についても話し合われたということなので、おそらく、ニュージーランド(以下NZ)はNATO-アメリカに対するそれなりに濃密な支援を約束したに違いないと思う。

日本で見ているとNZは牧歌的で平和な国という印象だが、実際にはそれなりの規模の軍隊を持ち、第二次大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争から一連の「対テロ戦争」まで、忠実に米英に付き従って戦闘に参加している。

*私はオークランド博物館で見て知った。同博物館の展示は1フロア分「戦争博物館」の趣である。

FIVE EYESへの「不快感」表明  

しかし、中国に対して「価値観を共有しない国家」と決めつけ、「国家安全保障上の懸念」と宣言することは、アーダーンの本意ではなかったと思う。

ちょうどバイデンとの会談の1年ほど前から、NZは、米英を中心とするFIVE EYESの安全保障政策から距離を置き、NZ自身の価値観と国益に基づいて、外交上の決定を自律的に行いたいという姿勢をはっきりと示し始めていた。

2021年4月、政権の2期目に新たに着任した(ということは、より政権の色が出ているということだろう)外務大臣 Nanaia Mahuta(写真↑)は、対中国政策に関して、NZはFIVE EYESから独立して、外交と対話を重視したアプローチを取ると述べた。

同じ席でMahutaは、FIVE EYES(「米英」と読み替えればよいでしょう)がその権限を超えて様々な圧力をかけてくることへの不快感を表明し、自分たちは独自の道を行く、と宣言しているのだ。

https://www.theguardian.com/world/2021/apr/19/new-zealand-uncomfortable-with-expanding-five-eyes-remit-says-foreign-minister

NZは、そのさらに1年前(2020年5月)、FIVE EYESが中国の国家安全法施行を非難したときにも、共同声明に参加していなかった。

https://www.stuff.co.nz/national/politics/121667644/new-zealand-missing-in-five-eyes-condemnation-of-beijing-over-hong-kong-security-law

FIVE EYES という機密情報共有のための枠組みは外交上の懸念を取り扱うのに適切な場ではないという考えであったというが、圧力ではなくて話し合い、というスタンスはこのときからはっきりしていたのだ。

 *アーダーンはコミュニケーション学で学位を取っている(wiki)。

このスレッドを大いに参考にしました。

なぜ辞職?

アーダーン首相は、米英の圧力外交に抵抗し、独自の平和・話し合い路線を行きたかった。

とくに中国との関係はNZにとっては決定的だ。経済的にも軍事的にも何か起きればただでは済まない。

国民に対して責任を有する首相として、NZの価値観と国益に従って行動する道を付けるべく、アーダーンは努力した。素直に、かなり直球勝負で、米英の圧力から逃れるべく、外務大臣とともに戦った。

そして‥‥その試みは、おそらく、大国アメリカによって挫折させられたのではないだろうか。

近年、各国首脳がワシントンに招かれて懐柔されることはよくある(どういうやり方を取っているのかは知らない)。

*もちろん真偽は不明だがロシアの外務大臣ラブロフが語っている映像を見たことがある。「私にはアメリカや世界中に友人がたくさんいて、アメリカのやり口を教えてくれる。彼らは「あなたのお子さんは・・大学にいらっしゃいますよね」「ところであなたの銀行口座は・・」といった調子で明け透けに利益誘導ないし脅迫をするというのだ。ここにいる多くの人たちもそのことを知っているはずだ」(というようなことを語っていました。)

アーダーンはニュージーランド人だ。自由と民主主義の国のリーダーとして、大国と小国という関係性はあるにせよ、アメリカともイギリスとも価値観を共有するパートナーとして同盟を組んでいるのであり、従属しているわけではないと信じていただろう。

しかし、現在のこの世界では、アメリカはNZが独自路線を取ることを許さない。決して。アーダーンはワシントンでかなり最低最悪の方法でそれを伝えられたのではないかと思う。

そんなことが分かってしまったら、政治に立ち向かうエネルギーなんてなくなってしまう。当然だ。素直によりよい世界を目指していればなおのこと。

*一方、世間で言われているような「批判が強まっていた」というくらいの理由では、志をもって首相になった人間が政治家を辞めたりはしないと思う。

アーダーンが首相だけでなく議員も辞したのは、そういう事情ではないかな、と私は思っている。

おわりにーアメリカについて語ろう

近年、日本がアメリカの属国であるということは、普通に言われるようになった。

しかし、では、日本がアメリカから離反しようと正面から努力してできる状況なのかといえば、そうではないことは明らかだと思う。

何しろ、今や属国扱いは戦争に負けた日本や(負けたわけではないけど)保護国扱いの韓国だけではない。ほとんどすべての西側の国が事実上従属を迫られているのだ。

いまの世界情勢(日本や多くの国では国内問題のかなり多くの部分を含む)における最大の問題は、明らかに、アメリカである。

コロナ・ワクチンをめぐる騒動だって、インフレだって、エネルギー価格の高騰だって、そうした様々に関する報道規制(自粛を含む)だって、基本的に全部アメリカが引き起こした問題だ、と言うのは陰謀論でも何でもない。健全な常識だと思う。

第二次大戦後の一時期は世界の安定の要であったはずのアメリカが、いつしか支配層を中心に暴走を始め、アメリカ国民を含む世界中の人々の安定を脅かしている、というのが現在の世界情勢である。

*暴走に加わっているのはアメリカの支配層だけではないと思うが渦の中心がアメリカであることは間違いないので「アメリカ」で語らせてもらう。

だったら、もっとアメリカについて語った方がよいのではないだろうか。

暴走機関車が世界中で暴れ回っているのなら、世界中の人たち(アメリカの人たちをもちろん含む!)と協力して、どうやって暴走を止めるか、どうやって被害を最小限に食い止めるか、話し合った方がよいのではないだろうか。

いわゆる「グローバル・サウス」の諸国やロシア、中国は、とっくにそのことを考えているだろう。

マクロンの発言があったけど、中国との関係でアメリカがさらなる動きに出て、ヨーロッパがうまくそこから離反したとき、最後まで「アメリカ対策」に悩まされることになる同胞は、韓国であり、もしかすると、ニュージーランドやオーストラリアなのかもしれない。

日本の知識人の間で「問題」としてのアメリカについての語りがあまりにも少なく、私はちょっと怪訝に思っている。

語ったからといってできることは少ないだろう。しかし、アメリカの支配層が引き起こしている問題を、日本の国内問題と捉えて政府を批判したり、ましてや中国やロシアに押し付けたり、そういうことをして、これからを生きていく小さく若い人たちに歪んだ鏡で世界を見るように仕向けるなんて、知識人としては最大の罪ではないだろうか。

よりよい将来のために、アメリカについて、アメリカ後の世界について語ろう。世界中の人々(しつこいようだが、アメリカの人々を含む)とともに。

いま、社会科学者として一番言いたいことかもしれない。

 

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社会のしくみ

核家族とイノベーション
ー人類の未来ー

 

核家族のイノベーション適性

技術力全般でいえば、日本や韓国、ドイツなどの直系家族に劣るところはないが、イノベーションとくに新技術の実用化といえば核家族だ。

鉄道、自動車、飛行機、電話。テレビにコンピューターにインターネット。冷蔵庫に電子レンジに抗生物質に‥‥と、暮らしを一変させたイノベーションにはたいていイギリス人やアメリカ人がかんでいる。

  *よく調べていません。

家族システムの観点から見ると、理由はかなりはっきりしているように思われる。

核家族はがまんができない。より正確にいうと、限られた領域の中で大勢の人間が定住生活をしていくという場面で、自分の側の価値観や行動を変えて状況に適応するという心の構えを持っていない。

狩猟採集の移動生活ならそのままでも快適に暮らせるし、定住を始めても人口密度が低いうちは何とかなったかもしれない。

しかし、そんな彼らが「満員の世界」への居住を余儀なくされたらどうなるか。彼らは困る。実に不自由で、不愉快だ。

だったら外側を変えればいいじゃないか💡」

ということで、核家族は、科学技術を使ったイノベーションに乗り出すのである。

古代ギリシャやアラブ・イスラム圏における学問・科学の発展も、同じ仕組みである可能性があると思う。古代ギリシャはメソポタミアやエジプトとの関係では辺境に位置する原初的核家族だった。のちに内婚制共同体家族を発明しイスラム教の民となるアラブの人々も、もともとは、メソポタミアやエジプトとの関係で辺境に位置する原初的核家族だった。彼らは、より発展した地域の文明を受け入れ、あるいは伍していく際に、家族システムの後進性を補うために、科学技術を必要としたのではないだろうか。

家族システムはもう進化しない

科学技術が発達する以前、人類の生存・繁栄に必要なイノベーションは、主に、人間側が工夫し、技術を高め、暮らし方を変えることで実現された(たぶん)。家族システムの構築はその一つであり、最大のものといえる。

人口が増え「満員の世界」が訪れたとき、人類は、その環境に適合するために、家族システムを進化させた。

家族システムの進化は、原則として、世代間の縦の繋がり(権威的関係)の構築から始まる。本質的に、社会の全成員に対して、一定の自己抑制(規律)や不自由を強いる性格のものである。

それでも、人口密度が高まり、現に争いが頻発する世界では、そうした方が快適だから、その方向にシステムが進化していったのだ。

文明の中心地とその周辺で家族システムが進化する一方、原初に近い核家族を保っていた辺境の人々が、識字化を契機に、唐突に世界の中心に躍り出る。

心の奥底に原初的自由を湛えた彼らは、人間側の自己抑制による「適応」を潔しとしなかった。さまざまな道具を作り、天然資源を大々的に利用し、自分たちを取り巻く環境の側に手を加えることで、世界をわがものとした。それが近代だ。

したがって、近代以降の世界では、どれだけ人口密度が上がっても、家族システムは、退化こそすれ、進化はしないと思われる。人間の関係性を体系化し、自分たちの行動をシステマティックに制御するという「不自由な」やり方を採用しなくても、科学技術を用いれば、快適に暮らしていくことができるからだ。

土地が少なければ高層マンションを建てればいいし、農地が足りなければビルの一室で野菜を作ればいい。そういう世界で、家族システムが進化することはないだろう。

アメリカの家族システムがいつまでも原初的核家族のままなのは、おそらくそういう事情である。

持続可能性には問題が

こうして、核家族は世界を変えた。

その核家族に、「君たち、何でそんな不自由な暮らしをしているんだ。こうすれば、もっと自由に快適に暮らせるじゃないか。」

と、言われてみればそのとおりなので、直系家族の民も、共同体家族の民も、こぞって彼らの後を追い、見事に科学技術を発展させた。

おかげで、私たちは、熊に襲われることもない安全で清潔な環境で、衣食住の必要を容易に満たし、医療技術に守られ、長い平均寿命を謳歌するようになった。最先端の娯楽にだってスイッチ一つでアクセスできる。ほとんどおとぎ話の世界といえる。

しかし、「人類が世界に適応するのではなく、人類の都合に合うように世界を変える」というこのやり方には、問題があった。人口が増えすぎて、世界を蕩尽し、地球を壊してしまうのだ。

私は、過去に起こったことについてとやかくいうつもりは全くない。核家族の躍進も、科学技術の発展も、起こるべくして起きたことであると思えるし、人類史に新たな地平が開かれたことは間違いない。

しかし、このまま「世界を変える」「イノベーション」方式で進んでいけば、早晩地球が壊れるということはかなりはっきりしている。

さて、どうするか。

サステナブルな未来

私がトッドと決定的に袂を分かつのはここからだ。

人口学者であるトッドは、人口の維持が良い未来を作るという命題を譲らない。彼は経済の問題はよく語るが、環境問題にはほぼ言及しないのだ。

「人口維持こそ希望の源」という立場の決定的な弱点だからかもしれないし、「人類の側が適応する」という構えを持たない核家族メンタリティで、困難があるなら克服すればよいと考えているのかもしれないし、世代かもしれない。まあ、理由は分からない。

一方、私は、地球環境の問題は重大だと感じている。おまけに「SDGs」はもちろん、化石燃料の使用を止めて平均気温の上昇を抑えればサステナブルな未来が待っているというような話はまったく信じていない(やっても仕方がないと言っているわけではない)。

現代の大学や企業や研究機関でなされる何らかの技術開発が地球を救うという可能性も基本的に信じていない(だってそれはシステム上「金儲けのため」「保身のため」「とにかく現状維持のため」として設計されているので‥‥)。

私の考えでは、サステナブルな未来とは、たぶん、人類の人口が激減し、平均寿命も低下し、人類以外の動植物、有機物、無機物が(他にもありますか?)豊かに繁茂したときに訪れるものである。

そのとき、人類の暮らしが、原始人みたいな暮らしになるのか、江戸~中世みたいになるのか、それとも何か全く新しい形態になるのか、そこら辺はまったく見当がつかない。

もしかしたら、その前に地球環境が激変し、恐竜が鳥として生き延びているように、人類は、妙に脳と言語機能が発達したネズミ系の小動物(ミッキーマウス!?)となって生き延びたりするのかも‥‥などと考えたりもする。

 *「ネズミ系の小動物」という設定はここから来ています。

しかし、いずれにしても、人口が激減し、平均寿命も低下し、人類が「その他大勢」の動植物の中の一つ(今もそうだけど)に落ち着く未来は、それほどわるいものではないと思う。

生きている限り、同類の仲間と、他のありとあらゆる生命や物質と、助け合ったり、食べたり食べられたり、コミュニケーションを取ったり、遊んだりしながら、生きる。そして、病気でも事故でも、自然災害でも、飢えでも、老いでも、とにかく死ぬ時がくれば死ぬ。

何だそれ。

まったく普通ではないか。

おわりにー選択

最後に少しもっともらしいことをいうと、仮に「ソフトランディング」がありうるとしたら、それを主導するのは共同体家族ではないかと思う。

自然を破壊・蕩尽することで「豊かに」暮らすという近代以降の方向性を大々的に転換するというような巨大プロジェクトを率いることができるのは、おそらく、共同体家族だけだから。

人類史としては美しいストーリーかもしれない。直系家族が国家を作り、共同体家族が帝国を繁栄させた。ジョーカーの核家族は科学技術を解き放ち、文明の大転換をもたらした。それが行き過ぎに及んだとき、再び共同体家族が底力を発揮して地球と人類を和解させ、サステナブルな未来を導くのだ。

いい話だねえ。‥‥とは思うが、正直なところ、ソフトランディングはないんじゃないか、と私は思う。人類はちょっと増えすぎた。あまりにも急激に増えすぎたのだ(↓)。

 

人類だけが豊かに栄える「サステナブルな地球(あるいは宇宙)」などというものはあり得ないと私は思う。

おそらくは自然の摂理として、適正規模に戻るまでは、自然災害や戦争の絶えない世界が続く。あるいはまた、気象変動が起きて、否応なく数を減らされたりするのだろう。

世間的には、こんなことはうっかり口にしてはいけない恐怖のシナリオなのかもしれないが、宇宙に属する一個の生物として考えると、別にどうってことはない。

最悪、ちょっと早めに死ぬだけだし。

 *「悪」かどうかももちろん分からない。

さて、ここからが私たちの選択だ。

この人生を、人類のみの繁栄の永続というあり得ない(と私は思う)目標のために捧げるか、自然界の一部として普通に生きるか、私たちは選べる。

前者はどちらかといえば奴隷の人生であり(主人は「人類至上主義」あるいは「人間社会」)、焦燥と恐怖とたぶん狂気の人生である。

後者は、現下の環境の中に生きる人類であるという条件の下で、正気を保ち、最大限平和に楽しく自由に生きる道だと思う。

現下の環境の中に生きる人類であるから、戦争やら何やらに巻き込まれることは避けられない。でも火に油を注ぐようなことをせず、人間や動物やその他もろもろと助け合い、ともに楽しみ、平和な宇宙に貢献することはできるのだ。

どうする?

どうしよう?

私はもちろん、後者を選びます。

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ナチズムが生まれる場所

はじめに

現在の世界には「ネオナチ」という日本語では甘っちょろく感じられるほどの本物のナチズムが繁茂している場所が(私の知る限り)2箇所ある。一つはイスラエル、もう一つはウクライナ西部だ。

*以下「ナチズム」は民族などの属性に基づいて特定の対象を激しく差別・迫害することを指します。

両者はどちらも原初的核家族である。アメリカやイギリス(原初的核家族または絶対核家族)が黙認している点も共通。

「むむ‥何かある」とにらんで考察を進めた結果、壮大な(?)仮説を得たのでご紹介させていただく。

仮説

ナチズムがもっとも発生しやすい場所は、共同体家族地域に対峙する原初的核家族地域である。

(1)世界に残る原初的核家族地域

説明しよう。

原初的核家族とは、ざっくりいうと、国家以前の原初的人類(移動生活の狩猟採集民とか遊牧民とか)の家族のあり方である。

人間は群れで生活する生物なので、基本仕様として集団を作る能力は持っているのだが、多数の集団を束ね、国家を作る段になると、基本仕様だけでは足りなくなる。そのときに家族システムが進化するのだ。

直系家族、共同体家族が備えている「権威」。それは、世代と世代を縦の線でつなぐことで生まれるものだが、この「権威」の軸が、国家のまとまり(凝集力)、秩序(規律)を成り立たせる基礎となる。

 *権威の機能については、この記事この記事をご覧ください。

いまは、全世界のすべての土地に国境が引かれ、いずれかの国に属することになっている。しかし、歴史的には、文明の中心地で国が生まれ、帝国に発展し、周辺の国家形成を促したりした後も、国家に属しているのかいないのかよく分からない土地がそこここに広がりまたは点在していた。そういう時代が長かったのだと思う。

そういう地域は、19世紀以降(なのか?)、どこかの国に領土として編入されたり、20世紀後半になると独立国となったりしたが、家族システムは原初的核家族のままであるケースが少なくない。国の成り立ちは特殊だがイスラエルはそうだし、ウクライナ(東部以外)もそうである。東南アジアの多くの国もそうだ。

そういう国は、国でありながら、自然な国家のまとまりを生む「権威」の軸を持っていない。放っておかれれば国家など形成しなかったはずの人たちで、メンタリティは原初的人類のままなのだ。

(2)原初的人類とは?

原初的人類のままであるとはどういうことか。これはもちろん私の考えだけど、こういうことだと思う。

「家族のためには戦えるが、国家のためには戦えない」

つまり、国民としてのアイデンティティが希薄なのである。

戦争を前提にした書き方をしたけれど、このメンタリティは国家運営全般に当てはまる。言い方を変えてみよう。

「家族には尽くせるが、国家には尽くせない」

しかし、主権国家を基本単位とする現代の世界では、彼らも国家として成り立ってゆかなければならない。国民としてのアイデンティティを確立し、一つにまとまっていかなければならない。

凝集力の核を持たない人々が、一つにまとまらなければならなくなったとき、通常発生するものは差別である。

何か特定の対象(A)を排除すれば、残りの人たちは「私たちは〔Aではないという点で〕同じ」という一体感を得られるからだ。

*例えば、原初的核家族の国家、アメリカの成立には先住民・黒人差別が大きな役割を果たしていることが指摘されている

では、その原初的核家族地域の隣に、非常に強力な共同体家族の国家があったらどうだろう。

国民としてのアイデンティティが希薄な人々が、単に一つにまとまるだけでなく、強烈な国家的アイデンティティを誇る帝国と渡り合っていかなければならないとしたら、どうだろう。

その状況で発生するのがナチズムだ、というのが私の仮説である。

統合の軸を持たない彼らは、任意の対象をそれはそれはもう激しく嫌悪し排除することによって、自分たちをギューっと絞り上げ、凝集力を高めようとする。そうすることで、共同体家族に匹敵する強固なかたまりとなり、国家のために戦う力を得ようとするのである。

検証1ーイスラエルとウクライナ

イスラエルは、アラブ諸国に囲まれ、パレスチナと対峙している。アラブ諸国は文句なしの共同体家族であり、長く帝国の支配下にあったパレスチナ人もそうだろう。

原初的核家族であり、国家としての伝統も持たないイスラエルの民は、共同体家族のパレスチナやアラブ諸国と伍していくために必要な強力な国家意識を形成・保持するために、ナチズムー差別の対象はパレスチナ人・アラブ系住民ーを制度化することになっているのではないだろうか。

ウクライナが対峙しているのはもちろんロシアだ。ソ連が崩壊し、棚ぼた的に独立してはみたものの、ウクライナもまた原初的核家族であり、国家の伝統を持っていない。

東部にはロシア系住民がいてロシアとうまくやっていたけれど、西部はあまりうまくまとまれず、経済的にも苦しいままだった。

何とかしたい。ロシアの一部としてではなく、ウクライナとして、自分たちの国を立派に成り立たせ、名誉ある地位を得たい。

と、そういう状況で、ナチズムが生まれてしまったのではないだろうか。

検証2ーナチ型虐殺事例

原初的核家族と共同体家族の接点でナチズム的事態が発生した事例は他にもある。

例えば、カンボジア・ポルポト政権下でのクメールルージュによる民族浄化(被害者は150-200万人とか(wikiです))。クメールルージュは中国共産党の支援を受けた共産党政権であり、原初的核家族が共産主義国家を目指した(共同体家族と同等の凝集力を得ようとした)ことで発生した事態であったかもしれない。

 *虐殺の規模の大きさは、移行期危機と関係すると思われる。

インドネシア大虐殺では、主たる虐殺対象は共産党関係者だった(被害者は少なくとも50万-。200万以上という説もあるとか(倉沢愛子『インドネシア大虐殺』(中公新書、2020年))。

インドネシアでは共産党は合法で4大政党の一つとして大きな勢力を持っていた。インドネシアは大半が原初的核家族なのだが、一部に共同体家族の地域がある。共産党の隆盛はそのことと関係があるかもしれない。そして、彼らと対峙し、勝利するために、原初的核家族は、ナチズムに基づく虐殺を行うことになったのかもしれない。

検証3ードイツと日本

ナチズムの本場といえばドイツ。直系家族の地である。ナチズムについては、移行期危機脱キリスト教化が重なって起きた悲劇であると基本的に理解していたが、今回、共同体家族との対峙という側面もあるのかも、と考えるようになった。

ナチズムは、反ユダヤ主義として捉えられるのが一般的だが、少し調べてみると、第一次大戦の敗戦以後、ナチ運動が一貫して敵視していたのはむしろマルクス主義者だった。

1940年代初頭にドイツ支配下のヨーロッパで行われたことを考えると、ヴァイマル共和国最後の数年間、ナチの暴力の主な標的がユダヤ人ではなく共産党員と社会民主党員だったことは奇妙に思われるかもしれない。ユダヤ人はもちろんSA〔突撃隊〕に目をつけられたし、NSDAP〔国家社会主義ドイツ労働者党〕が攻撃的な人種差別を行う反ユダヤの党であることに疑いを抱く者はいなかっただろう。しかし、この時期のユダヤ人への攻撃は、ほとんどあとからの思いつきで、左翼の支持者を攻撃する際、目についたものに攻撃の矛先が向かっただけのように思われる。

リチャード・ベッセル著 大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949』(中公新書、2015年)41-42頁

これはナチスを支持したドイツ国民についても同じで、1930年代前半の段階では、NSDAPに投票した人々が明確に支持していたのは反マルクス主義の主張であって、反ユダヤについては「黙認」していたという感じだったという。

ヒトラーが闘争により勝ち取らなければならないと考えていたドイツ民族の「生存圏」は「第一にロシアとその周辺国家」だった(坂井栄八郎『ドイツ史10講』195頁)。

当時のドイツは、共産主義ロシアと対峙するために、ユダヤ人迫害を必要としたのかもしれない。

原初的核家族とは異なり、直系家族には権威の軸がある。しかし、それは本来は都市国家や領邦国家向けのものであり、国民国家を支えるにもやや弱く、帝国となれば「到底無理」という体のものなのだ。

その直系家族が大帝国建設という壮大な夢を見て共同体家族ロシアに対峙したとき、本来持ち得ないレベルの凝集力を得るために、ナチズムが発生してしまう、というのは、ありそうなことのように思われる。

同じことは日本についても言える。私は日本にナチズムが跋扈した時代があるとは考えていないが、民族浄化的な虐殺ということでは、関東大震災(1923年)のときの朝鮮人虐殺があり、日中戦争の南京事件(1937年)がある。

関東大震災のときには社会主義者も多く殺害されており、ロシア革命(1917年)の影響による共産主義拡大への警戒感が一つの要素として存在したことは間違いない。南京の虐殺は、簡単に勝てると思って仕掛けた戦争で中国側の思わぬ強靭さに接した後で起きた事件である。

おわりに

私が刑法学をやめ、今やっている方向の研究に乗り出した理由の一つに、ふと「自分が生きていて、社会科学の研究などしているときに、日本がまた大虐殺とかすることになったら嫌だなあ」と思った、ということがある。

その懸念は、高齢化と人口減少が続く以上はありそうにない、ということで一旦は収まったが、そうこうするうちに、ウクライナ危機が発生し、ウクライナ東部のロシア系住民に対してなされていたことを知り、イスラエルで起きていることを知った。

とくにイスラエルのことは全然よく知らないが、どちらも移行期危機とはいえないのではないかと思う。

いまは「○○になったら嫌だなあ」というようなことは基本的に考えない(考えても仕方ないので)。しかし、それがどういう現象なのかは理解したかった。

私の場合、理解するということは、その対象物を「憎まないで済む」ことを含む。感情的にならず、冷静に、ほどほどに暖かい目で観察できる、ということだ。

前回はアメリカについてそれができて、よかったな、と自分では思っていた。

この「ナチズムが生まれる場所」は「アメリカ II」の副産物なのだが、ナチズムすら憎まないで済むなんて、結構すごい達成ではなかろうか。

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アメリカ II (3・完)
ー帝国の繁栄と衰退ー

 

はじめに

なぜ、アメリカは巨大な格差を放置してますます状況を悪化させ、軍事介入やCIA秘密作戦に熱中し続けているのか。

「権威」の不在に着目し、その謎を解き明かすシリーズの最終回。
いよいよ、アメリカの建国から現在までを追いかけよう。

建国ー独立戦争の英雄の下で

Washington Crossing the Delaware by Emanuel Leutze, MMA-NYC, 1851

アメリカの初代大統領は独立戦争の英雄ジョージ・ワシントン(在任1789−1797)である。

総司令官として独立戦争を勝利に導いた彼は「生きながらにして神格化の途上にあった」というが、戦争終了後は最小限の兵力を残して軍を解体、自ら権力を握ろうとはせずに地元に帰る。しかし、

当時の人々にとって、大統領に相応しい人物はワシントン以外に考えようもなかったし、そもそもワシントンを想定しつつ、合衆国憲法第二条の大統領に関する規定が作られたともいわれる。

和田光弘『植民地から建国へ』アメリカ合衆国史①(岩波新書、2019年)164-165頁

ワシントンは、周囲からの強い働きかけに応じて大統領選挙に出馬、満票を得て、アメリカ合衆国初代大統領に就任するのである(1789年4月30日)。

彼は大統領を2期務めて退任する(3期目は出馬せず)が、「終身で務めてくれると考えていた者も、当時のアメリカ国内には多かった」という(和田・180頁)。

軍歴と人格により圧倒的な信頼を勝ち得て、終身の大統領就任を望まれる。まるで古代ゲルマン民族の王のようではないか。

バラバラな植民地の寄せ集めにすぎなかった13州を一つの統一国家にまとめ上げる力となったのは、1つには、イギリス本国という強大な敵との戦いとその勝利、そして英雄ジョージ・ワシントンの存在であったと考えられる。

ただ、「権威」なき原初的核家族の英雄による建国の場合、相続争いや遺産分割で国はまもなく分裂し弱体化していくのが通例である(クローヴィスとカール大帝の例についてこちら)。アメリカはどうやってこれを乗り切っていったのであろうか。

13州を一つの統一国家にまとめ上げる力となったのは、①イギリス本国という強大な敵との戦いとその勝利、②英雄ジョージ・ワシントンの存在だった

「常道」の確立ー連邦裁判所と政党対立

(1)政党対立

アメリカ建国の父たちは、当初から「国王」を持たない共和政体の脆弱さを認識していたという。

古代ローマは版図拡大に連れて共和政から帝政に移行したし、ピューリタン革命後のイギリスも結局王政に回帰した。当時は「共和政は政治的に脆弱だ」というのが常識だったのだ(和田・161頁)。

しかし、君主制のイギリスを反面教師としたアメリカに、「国王」の選択肢はなかった。

広大な領土を傘下に収める「新共和国」存続の困難さを憂慮した政治指導者たちは、これまで統合の中枢にあった国王が存在しない今、「有徳の市民」が私益ではなく公益を優先させることでシステムの暴走を防げるとの見通しを抱いていた。公共善の防衛を謳う共和主義の主張であ〔る〕。

和田・161頁

つまり、建国の時点で、彼らは「国王はいないけど一つにまとまらなければ」と強く意識しており、大統領たるワシントンの下、皆が公益実現に向け一丸となって国家の運営にあたることを想定していたのである。

ところが、日本人から見ると「さすが」としかいいようがないが、以後アメリカ政治の基本モードとなる二大政党の党派対立は、早くもワシントン大統領の任期中に発生しているのだ。

「第一次政党制」と呼ばれる連邦派(商工業中心の国づくり・強力な連邦政府を志向)と共和派(農業立国・州の権限尊重を求める)の対立の様子は、非常に原初的核家族的で面白い。

1820年代後半に形成される第二次政党制などとの違いは、極論すれば、互いに相手の党派の存在を政治的に認めていなかった点にあるといえる。つまり双方とも自分たちのみが正しい道筋を示していると確信していたのであって、意見は異なっても互いの存在を認めた上で政権を相争う政党政治のあり方とは、大いに趣を異にしていたのである。

和田・172頁

日本では、どうしても一つの勢力が政権に落ち着いてしまい、いくら頑張っても二大政党制にならないというのに、アメリカでは国が動き出した途端に意に反して政党制が生まれてしまう。家族システムの作用としかいいようがないであろう。

自分たちの考えを素朴に正しいと信じている人たち(つまり権威を持たない人たち)の間では、意見が異なれば即座に対立が生じる。おそらく、その単純な成りゆきが、二大政党制の基礎なのだ。

最初の合衆国連邦議会の様子
https://constitutioncenter.org/blog/happy-birthday-to-first-united-states-congress

(2)連邦裁判所

手元にあるはずの本(こちらです)が見つからず、うろ覚えで申し訳ないのだが、建国当初から、連邦最高裁判所は自ら積極的にその権限を強化するべく行動していった(違憲立法審査権を確立したとされる有名な判例は1803年に出ている)。

こうして、ごく初期のうちに、スコウロネクのいう「裁判所と政党からなる国家」、私の言葉では「暫定権威(連邦裁判所)+党派対立」を基礎とする国家の構造ができあがったわけである。

原初的核家族のアメリカでは建国後まもなく意図せずに二大政党制が生まれ、連邦裁判所が暫定権威を担い、「裁判所+党派対立」の基本体制が確立した

南北戦争(1861-1865) 

https://www.battlefields.org/learn/articles/north-carolina-civil-war

(1)合衆国の再統一

建国の父たちが懸念した通り、広大な領土を収める新共和国アメリカは、19世紀後半に分裂の危機を迎える。

このときに起きた内戦(南北戦争)の死者数をご覧いただきたい。

戦死者数動員者総数人口1万人当り死者数
独立戦争4435217000117.9
南北戦争4983323263363181.7
第一次世界大戦116516473499111.1
第二次世界大戦4053991611256629.6
ベトナム戦争902001533032.8
貴堂・後出108頁
(独立戦争と南北戦争についてはもっと多く数える文献もあるそうです)

南北戦争は、アメリカが戦ったすべての戦争の中で、最大の(アメリカ人の)死者を出した戦争なのだ。 

南北戦争とはいったい何だったのかと考えたとき、鍵になると思われるのは、(1)で見た領土の拡張である。

大西洋岸の13州から始まったアメリカは、1850年までにこれだけ領土を広げ、人口も相応に増加した。 

連邦裁判所と政党対立でどうにかやりくりしていた原初的核家族の「小さな政府」(と国民)に、これだけの領土をまとめていく能力はなかったはずである。

南北戦争は、おそらく、原初的核家族の集団が二つの陣営に分かれて総力戦を戦い、雌雄を決することで、新たに統一を成し遂げる、合衆国再統一のための戦争だったのだ。 

(2)新たな建国ー生まれ変わるアメリカ

南北戦争は、州の主権を尊重し「小さな政府」しか持たなかったアメリカが、より「国家らしい国家」に生まれ変わる転換点となる戦争だった。

連邦政府は、総力戦となる内戦を戦うなかで、それまで州に奪われていた通貨発行権を国家主権の名において奪い返し、連邦課税を実施し、財政政策の主導権を握った。さらに、「祖国のために死ぬ」ことを強いる連邦徴兵を、一気に実現していった。

また‥‥、再建期には、市民権法や憲法修正第13条、第14条、第15条などで、連邦市民権の概念を確立し、それまでの連邦と州の関係を大きく変質させて、国家主権の優越を確立していったのだ。リンカンがゲティスバーグ演説で、「ユニオン」に代えて「ネイション」を使ったのは、南部連合が離脱宣言で主張した、州権論的な国家観を否定するためだった。

貴堂嘉之『南北戦争の時代』アメリカ合衆国史②(岩波新書、2019年)113-114頁

とはいえ、彼らの家族システムは、原初的核家族のままである。

これ以後、アメリカの国家および政府の規模は拡大の一途をたどる。それは、連邦裁判所と二項対立から成る「国家なき国家」が限界に達し、「大きな政府」を持つ中央集権型国家へと変貌を遂げていく過程だが、大きな政府の適正な維持こそは、「原初的核家族の国家」にとって、最大のチャレンジなのだ。

アメリカは、南北戦争による「再統一」を経て、中央集権型国家に変貌を遂げていく

帝国への道

南北戦争後、先住民の迫害(というか虐殺)と同時に、大統領選や中間選挙の投票率が20年に渡って(1870-90)80%前後を記録し続けるという「デモクラシーの時代」を築いたアメリカが、次に進んだのは、海外進出、つまり「帝国」への道である。

北米大陸の征服を完了した後、アメリカは、中南米、太平洋島嶼部を自らの勢力圏として固めることに力を注ぎ始めた。

1904年、セオドア・ルーズベルト大統領は次のように述べ、アメリカが今後、(当面は)地域の「国際警察」としての責務を積極的に担っていくことを宣言する(1904年年次教書・28頁)。

我が国が望むのは隣国が安定して、秩序があり繁栄していることだ。‥‥〔しかしながら〕彼国が愚行を繰り返し、無力に打ちひしがれて、文明の紐帯を弱めてしまったときは、文明国の介入を受けざるをえない。西半球の場合はモンロー・ドクトリンを信奉するアメリカが‥‥国際警察力を発動することになる。

*前後の内容を含め、中野耕太郎『20世紀アメリカの夢』アメリカ合衆国史③(岩波新書、2019年)27頁周辺参照

*いわゆる「モンロー・ドクトリンのルーズベルト系論」。オリジナルのモンロー・ドクトリンの主眼が南北アメリカ大陸へのヨーロッパの干渉を排する点にあったのに対し、ルーズベルトは南北アメリカ大陸におけるアメリカの(武力行使を含む)秩序維持の責務を根拠づけるものとする新解釈を示した。

棍棒を持ってカリブ海を歩き回るルーズベルト(当時の風刺画)

中央集権化が進行する時期、北米大陸征服を終えたアメリカは海外に進出し、「帝国」への道を歩み始める

二つの世界大戦 

(1)第一次世界大戦

セオドア・ルーズベルトの宣言は、新興国として出発したアメリカが、西欧の干渉を排して国力を充実させるという内向きの姿勢(オリジナルのモンロー主義(孤立主義)だ)から、西欧列強の一角として、積極的に世界にコミットする姿勢に転換したことを示していた。

実際、1870年から1913年の人口および経済の成長は、世界に類を見ないレベルに達していた。その基礎となった教育水準はさらに上昇を続け、さらなる国力の充実を約束していた。

アメリカは、その勢いに見合った活躍を求め、ついに「自由と民主主義」のリーダーとして名乗りを上げるのだ。

1917年4月2日、第一次世界大戦への参戦を決定したウィルソン大統領の議会演説をお聞きいただこう。

我々の〔戦争の〕目的は、世界の暮らしの中で、利己的で宣誓的な権力に反対し、平和と正義の原則を確立すること、そして、今後この原則を守り、保証するために、自治を行う真に自由な諸国民の間に、目的と行動の協調関係を樹立することです。‥‥世界は民主主義のために安全にされなければならないのです。

*中野・前出63頁

(2)「大きな政府」へ

大きな戦争を戦うということは、大勢の人間と大量の物資を組織的・計画的に動かすということであり、その実行にはどうしても大きな政府が必要になる。

南北戦争後に初めて「国家らしい」連邦政府を持つようになったアメリカは、大戦に参加する度に、社会・経済的な統制の能力を高め、より「大きな」政府に持つ国家に生まれ変わっていくのである。

1929年に始まった大恐慌は、アメリカが「大きな政府」を積極的に肯定していく契機となった。

1933年に就任したフランクリン・ルーズベルト大統領は、就任演説で、次のように述べている。

我々が恐れなくてはならないのは、恐怖そのものだけです。‥‥国民は行動を求めています。今すぐ行動せよと。‥‥議会にもう一つ危機への対処の手段を要請したい ------ 緊急事態に対する戦争を行えるように行政権力を拡大してほしいのです。

*中野・前出135頁

以後、1969年までの36年間、アイゼンハワー(共和党)2期を除いて民主党が政権を独占する「長いニューディール」の時代が続く。

アメリカが「二項対立」を封印し、大きな政府の下に一つにまとまって、国内では国民の福祉を、世界に向けては「自由と民主」(と豊かさ)を実現していこうとする理想主義の時代である。

しかし、彼らの「大きな政府」は、旧ソ連や中国共産党のような強大な権威に基づくものではない。

「二項対立」を封印したアメリカが、大きな政府の下で国民の統合を維持していくためには、憲法の理念、戦争、排外主義といったあらゆる手段を駆使していかなければならないだろう。

(3)第二次世界大戦

フランクリン・ルーズベルトが参戦の意図を語った1941年の一般教書演説について、中野先生にご紹介いただく(適宜改行します)。

冒頭ローズヴェルトは「アメリカの安全保障が今ほど外部からの大きな脅威に晒されたことはない」と危機感を煽ったうえで、「もはや我々は慈悲深い心を持つ余裕などない」と戦争が不可避であることを示した。

そして大統領は来るべきアメリカの戦争の大義を「人類の欠くことのできない四つの自由」ーーすなわち、①言論と表現の自由、②礼拝の自由、③欠乏からの自由、④(侵略の)恐怖からの自由、に求め、これを「〔日独伊三国同盟による〕専制政治の新秩序の対極に」位置づけた。

重要なのは、「四つの自由」の理念がアメリカの国家的目標であるばかりか、「世界のあらゆる場所で」実現されるべき理想として語られたことである。例えば、四つのうちで最もニューディール的な「自由」である「欠乏からの自由」は次のように敷衍されたーー「それは、世界的な観点から言えば、あらゆる国で、その住民の健全で平和な生活を保障するような経済的合意を意味」する、と。

この教書はアメリカがついに孤立主義を脱し、世界政治に本格的にコミットする決意の言葉でもあった。

中野・156頁
戦争目的の周知のために流行画家ノーマン・ロックウェルに描かせた「四つの自由」

理想主義に基づく世界政治への本格的コミットメントという方向性は、中等教育の普及が規定する下意識の健全な発露であり、「自由」の名の下に世界に打って出たアメリカの行動は完全に自然で正常である(倫理的当否について語るものではない)。

憲法的理念、排外主義、使用可能な全てのツールを総動員して第二次世界大戦を戦い終えたとき、アメリカは、世界に並ぶもののない超大国となっていた。

また、総力戦を戦った結果として、その国家には、極めて大きな政府が備わり、政府、軍、大企業、アカデミア等から成る「軍産複合体」が意思決定機構の中心を占めるようになっていた。

しかし‥‥この期に及んでも、アメリカの家族システムは共同体家族に進化したりなどしていない。原初的核家族のままなのだ。不釣り合いな「大きな政府」を持つこととなった国家の運命や、いかに。

二つの大戦を経て世界に並ぶもののない超大国となったアメリカは、同時に、巨大な政府を持つ国家となっていたが、家族システムは原初的核家族のままである

冷戦

(1)世界規模の「二項対立」

大戦以来の「大きな政府」は、民主党政権の下で、国内では「偉大な社会」の理想を追求する福祉国家(Welfare State)として開花する一方、対外関係では、軍事国家(Warfare State)として機能した。

*豊かで平等なこの時期のアメリカについてはこちらをご参照ください。

世界が荒廃する中、ただ一人無傷で、圧倒的な軍備と経済力を手に、世界の中心に立っていたアメリカ。その国は、しかし、自ら開発した核兵器の恐怖に足を掬われ、共産主義に恐れを抱き、すぐさま世界を敵と味方の二つに分けて、冷戦をスタートさせるのだ。

まるで、強力な中央政府が存在しない世界で、秩序を保つ方法は、核家族にはお馴染みの二項対立しかないというかのようである。

この「トルーマン・ドクトリン」は、世界政治の現状を「多数者の意思に基づく」自由な生活様式と「恐怖と圧制」の政治秩序との闘争と捉え、前者の擁護のためには、アメリカが他地域に介入することも避けられないと説明していた。

また‥‥こうも述べられた。「全体主義の種は悲惨と欠乏の中で育ち‥‥よりよい生活の‥‥希望が消えたとき完成する」と。ここに「欠乏からの自由」のレトリックは、共産圏膨張の「恐怖からの自由」—- つまり冷戦の戦いへと展開していく。

中野耕太郎『20世紀アメリカの夢』178頁
古矢旬『グローバル時代のアメリカ』6頁

この時期、アメリカの政府支出はさらに飛躍的な伸びを見せているのだが(↑)、この巨大な政府は、冷戦という特殊な戦争を戦う過程で、通常の政府が持ちうる「大きさ」とは質的に異なる、2つの「飛び道具」を手に入れる。

(2)金融覇権ー基軸通貨ドル

その一つは、ドルが国際金融の基軸通貨としての地位を確立したことによる金融覇権である。

‥‥ドルというのは魔法の通貨で、貿易収支の赤字が重大化した局面の間も、少なくとも2002年4月までは価値が下がることがなかった。まことに魔法のような動きを見せたわけで、経済学者の中にはそこから、アメリカ合衆国の世界経済における役割は、もはや他の国々のように財を生産することではなく、通貨を生産することなのだという結論を演繹したものもいる。

エマニュエル・トッド『帝国以後』130頁

私が理解している範囲でざっくりいうと、ブレトン・ウッズ体制下での基軸通貨としての地位、IMFや世界銀行の政策に対する事実上の支配権、マーシャル・プランを通じた欧州への多額の復興支援等を通じて、アメリカはグローバル金融を支配する地位に着いた。

政府支出の増大と産業競争力の低下で貿易赤字が常態化し、経済的覇権が危うくなった後も、金本位制を止めてドルを金(ゴールド)から切り離すなどして乗り切り(ニクソン時代の1971年)、唯一の大国としての謎の金融支配力を通じて、「どれだけ借金をしても潰れない」「ドルを刷ればいくらでも支出ができる」という謎の状態を作り上げたのだ。

*金本位制とは、「金(ゴールド)だけが本物のお金(マネー)であり、通貨は金(ゴールド)の引換券にすぎない」という考え方の制度で、この制度の下では、金(ゴールド)の裏付けなしにドルを刷ることはできない(ドルと金を引き換える(兌換)義務がある)。ブレトン・ウッズ体制は純粋な金本位制ではなく、金=ドル本位制というような感じのものだったという話だが、このことの意味は私にはまだわからない(いつか分かったら説明します)。また、金(ゴールド)とドルの交換レートが第二次大戦当時のアメリカの経済力を前提としたレートで固定していたため、1971年のアメリカにとっては「過大評価」となっていた(円は1973年に変動相場制となった瞬間に固定時の360円から約260円に上がっている)。ゴールド不足とドルの過大評価に悩んでいたアメリカは、金本位制を止めたことで、ゴールドなしにドルを刷れるようになり、また実力に応じたドルの切り下げにも成功したのである。
 

(3)秘密作戦

もう一つは、CIAなどの諜報機関を通じた秘密作戦である。

秘密の工作活動は第二次世界大戦期から行われていたが、朝鮮戦争の後、財政引き締めの観点から通常兵器の大幅削減が目指された際に、改めてその使用が拡大されたという(通常兵器の穴を埋めたもう一つは核兵器)。

*アメリカの正規軍の実力が(軍備の割に)大したことないというのはある程度定説なので、有効性の観点から選択された可能性もあるかもしれません。なお、アメリカ軍の「弱さ」について、トッドはつぎのように指摘しています(国家規模の戦争における犠牲的精神のなさは「権威の不在」の明らかな徴標だと私は思います)。

「イギリスの歴史家で軍事問題の専門家であるリデル・ハートが見事に見抜いたように、あらゆる段階でアメリカ軍部隊の行動様式は官僚的で緩慢で、投入された経済的・人的資源の圧倒的優位を考慮すれば、効率性に劣るものだった。ある程度の犠牲精神が要求される作戦は、それが可能である時には必ず同盟国の徴募兵部隊に任された。‥‥」(『帝国以後』121-122頁)

主としてCIAの主導の下で、アメリカ合衆国は、数百にのぼる秘密裏の不法介入を行なっているが、それが行われた地域以外ではほとんど注目されないままに終わっているのである。これらの秘密活動は、通常の統計調査の網の中には入ってこないところで行われている。専門的に言うならば、国防総省は「秘密工作活動」と「不法工作活動」を区別している。前者の場合には、活動のスポンサーが誰であるのかが隠され、そのスポンサーに関して「まことしやかに否認する」ことが許されているのに対し、後者の場合には、活動の存在自体が隠蔽される。しかし、実際には、この区別は普通は曖昧で、こうした行動とその実行者は、それがいかに犯罪的な行為で、その実態がいかに徹底的に明らかにされようとも、全く責任を問われないのである。

ジョン・W・ダワー(田中利幸 訳)『アメリカ 暴力の世紀  第二次世界大戦以後の戦争とテロ』(岩波書店、2017年)56頁

CIAの活動については、日本の一般の人々にはあまりにも知られていないと思うので、もう一箇所、引用をさせていただく。

1987年、CIAに幻滅した十数人の元CIA職員が自分たちの組織を作り、次のような声明を出した。

「アメリカ合衆国と戦争状態にない諸国、合衆国に対して十分な物理的損傷を与えるような能力を有していない諸国、あるいは「共産主義」か「資本主義」かという問題で、合衆国に対して悪意を全くもっていないか強い関心をもっていない国々、そのような諸国の数百万人にのぼる人たちが、アメリカの秘密工作活動で、殺傷されたりテロ行為の犠牲にされたりしている」

これらの元CIA職員は、詳細な情報を提供していないが、「第二次世界大戦以後、アメリカの秘密工作活動の結果死亡した数は、少なくとも600万人にのぼっている」と結論づけている。

同・58頁

https://theintercept.com/2015/11/12/edward-snowden-explains-how-to-reclaim-your-privacy/

思い出していただこう。謎の金融支配力、決して責任を問われることのない秘密作戦遂行能力、この恐るべき権力を握っている主体は、原初的核家族である。

そして「中等教育の普及+少数のエリート」という絶妙な配置の時代はまもなく終わる。国民全体の利益のために「大きな政府」を担うことのできる本物のエリートはいなくなり、高等教育による国民の階層化と私益を追求する(にせ物の)エリートの時代がやってくる。

彼らの手にそれらの権力が渡ったら何が起こるであろうか。
多分、それが、いまのアメリカで起きていることである。

巨大な政府を持つアメリカは、冷戦を経て、
①謎の金融支配力、②CIA等による秘密作戦の自在な遂行能力
という恐るべき権力を手に入れた。

最後の政権交代ーニクソン政権の誕生

https://www.theguardian.com/us-news/2020/nov/12/from-the-archive-1968-president-elect-nixon-planning-for-a-smooth-transition-of-power

「長いニューディール」とも言われる民主党時代(1933-69)にも、一度だけ共和党への政権交代が実現したことがあった。1953-61のアイゼンハワー大統領の時代である。

トルーマンの不人気と朝鮮戦争の泥沼化を背景とした政権交代で、「長い民主党時代の小休止」(中野・191頁)とも評されるこの時代、政権は「宗教戦争のごとき民主党の理念外交に警鐘を鳴らし、また伝統的な財政均衡論の立場から無節操な軍事費の増大を批判」(中野・191-192頁)して、通常兵器の大幅削減を目指すなどしたというが、冷戦の継続、福祉国家という基本路線に変化はなかった。

「長いニューディール」の終焉をもたらす本当の意味の政権交代が起きたのは、ニクソン共和党政権(1969−1974)誕生のときである。

「政権交代」を「民意に応じて政治の大きな方向性が変わること」と定義しよう。そうすると、ニクソン政権の誕生は、アメリカ史における最後の政権交代だったのではないかと思う。

ニクソンは誰の心を掴んで当選したのか、彼の演説を聞くとそれが分かる(共和党候補者指名大会での演説 中野・215頁)。

〔今や〕都市は煙と炎に包まれ、夜にはサイレンが鳴り響く。遠く海外の戦場で死にゆくアメリカ人、国内で違いに憎しみ合い、戦い、殺し合うアメリカ人達。数百万人のアメリカ人が怒りに震えているのがわかる。‥‥それはもう一つの声‥‥阿鼻叫喚の喧騒の中での静かな声だ。それは大多数のアメリカ人、忘れ去られたアメリカ人----デモで雄叫びをあげるような人ではない----の声である。

1968年、それは正に「高等教育の頭打ちが見えて」きて「理想主義への反発が生まれ」たそのときである。反発したのはもちろん、高等教育に達することが見込めなくなった非エリートの労働者たち。

ニクソンが狙い撃ちにしたのは、(自由貿易による)国内産業崩壊の影響をじかに被り、高等教育組が推進した人種差別撤廃政策で黒人に社会的・経済的地位を奪われる恐怖を覚え、理想主義に背を向けたサイレント・マジョリティ、白人非エリート層だったのだ。

このとき、彼らの票は、ニクソン共和党に32州での勝利を与え、本物の政権交代を実現させた。

ニクソンは、対外関係においては、ベトナムから兵力を撤収し、大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーとともに、現実主義の名の下で、中国やソ連との関係を改善し、戦略兵器を削減する「帝国」のダウンサイジングを行った。この現実主義は、主に財政上の必要によるものであったというが、非エリート層の意向にも合致しただろう。

では、社会・経済政策はどうであったか。

ニクソン政権は、福祉国家から新自由主義という極端な変化のちょうど移行期にあたる政権であり、その政策には両方の側面が見られるという(例えば黒人解放のためのバス通学、アファーマティブ・アクションなどは主にニクソン政権期の政策だ)。

しかし、経済政策という点でいえば、ニクソン政権は、確かに、新自由主義への最初の一歩を踏み出した政権だったといえる。

すでに述べたように、政権は、冷戦期の貿易収支の悪化に、金本位制の廃止等の金融政策で対応した。

労働者階級の生活の向上には、国内産業の育成こそが必要だったのに、政権は「小さな政府」「自助の精神」を称揚して彼らを放置し、金融という「魔法」によって資本家の利益を確保する方向に舵を切ったのである(この辺りの政治家の「裏切り」についてはこちらもご参照ください)。

にもかかわらず、労働者階級の不満は、ニクソン政権には向かわず、大学生たちのベトナム反戦運動や黒人解放運動に向かった。このとき、黒人への反感も醸成されたのだ。

高等教育組に反感を抱く白人非エリート層の支持によって実現したニクソン共和党政権は、民意によって政策の方向性が転換した「最後の政権交代」だった。

「大きな政府」のその後

ニクソン共和党への転換が「最後の政権交代」ではなかったか、というのは、これ以後、とくに1981年のレーガン政権以降、アメリカはほぼ「誰が政権をとっても同じ」という状況に陥っているからである。

こんなのが作られてSNSで人気になるほど「みんな同じ」感があるのだ。 
https://ifunny.co/picture/reagan-nerd-cool-dumb-classic-reagan-reagan-reagan-ah-eloquent-5INvk8Ed9

レーガン時代に確立した新自由主義・新保守主義(ネオコン)の路線が、その後の政権で揺らいだことはなかった。

90年以前であれば「親ソ」それ以降は「権威主義」とみなした国々への終わることのない軍事介入(CIAの秘密作戦はレーガン期に再度強化されている)。

ところで、トッドは、軍事予算をめぐり、1990年代のアメリカに興味深い転換があったことを指摘している。

ソ連が崩壊した1990年から1995年からの5年間のアメリカには、軍備の縮小による対外収支均衡に取り組んだ形跡が見られるという。

*軍事予算は1990年から1998年の間に28%(3850億ドル→2800億ドル)、現役の兵力も200万人(1990年)から140万人(2000年)に減少。
*1990年台前半の政府予算の上昇率の低下は、このグラフにも見て取れる。

しかし、1996年から2000年の間に、この傾向は逆転していく。再び軍備の増強が始まり、貿易収支の赤字が爆発的に増大する。なぜか。

どれほど巨額な貿易収支の赤字も金融収入で埋め合わせることができるというドルの魔力は、ドルの信用に依存している。

つまり、ドルが全世界に信用による強制レートと弁済手段としての強制通用力を持つのでなければ、何の意味もないのである。

『帝国以後』132頁

第二次大戦後、アメリカは、唯一無傷で生き残った(しかもなお成長期にある)大国としての圧倒的な経済的優位に基づいてドルの覇権を築いた。

その経済力が失われた今、どうやってその覇権を維持していけばよいだろう。

1999年前後に、アメリカの政治的エスタブリッシュメントは、帝国型の経済、つまり依存的経済という仮説を立てた場合、軍事潜在力が現実に不足しているということを自覚した。

同・127頁

軍事力の再増強は、アメリカ合衆国の経済的脆さが増大しつつあるという自覚から派生するのである。 

同・126頁

国内産業の育成による貿易収支の健全化を諦め、金融支配力=ドルの覇権によって生きていくことを決めた大国。

金融支配力=ドルの覇権の維持のために、「自由と民主主義のリーダー」としての軍事力の誇示や対外介入を続ける大国。

これがアメリカの現在の姿である。

レーガン以降、アメリカは誰が政権を取っても変わらず新自由主義・ネオコン路線を突き進んでいる。

1995-2000年頃以後、アメリカの軍事行動は金融支配力(ドルの覇権)維持を目的とするものとなっている

二項対立の終わり

原初的核家族は、基本的に、行政機構を適正に維持する能力を欠いている。それにもかかわらず、アメリカは、南北戦争、二度の世界大戦、そして冷戦を通じて、巨大な政府を持つ国家となってしまった。

アメリカの現状は、「権威」なき国家の巨大な政府が、「暫定権威」の支配に屈することとなった結果と見ることができると思われる。

現在アメリカを支配する暫定権威。それは、連邦裁判所ではなく、軍ですらなく、おそらく、金融資本とCIAなのだ。

そのような事態を招いた原因は、根本的には、原初的核家族の国家としてはありえないほど、政府が大きくなってしまった点にある。

フィリピンの入管施設のようなメンタリティの人たちが、この巨大な政府を担っていると考えてみてほしい。統率の効かない政府において、最終的に幅を利かせるようになったのが金融資本とCIAだったというのは「なるほどねー‥」という感じではないだろうか。

ただ、そうは言っても、アメリカは、「大きな政府」となる以前には、憲法と二項対立によって国家を保っていた国だ。党派対立、選挙、議会。政治の力はどこに行ってしまったのであろうか。

1969年にはわずかながら残っていた二項対立(政権交代)の力が、その後ほぼ完全に失われた理由は、アメリカI、IIと続けて読んできていただいた方には見当が付くと思う。

高等教育の拡大による社会の階層化は、アメリカでとくに激しい格差と分断を生んだ。

おそらく、アメリカ社会では、「上下の対立」、というより「上による下の支配」の比重が大きくなりすぎて、左右の(イデオロギー上の)対立に意味がなくなってしまったのだ。

トッドは、高等教育の拡大による社会の階層化に「平等の破壊」を通じてデモクラシーを破壊させる機能を認めた。

私は、同じことを「権威」の観点から述べている。高等教育による社会の階層化は、「国家をまとめる」役目を果たしていた二項対立の機能を無化した。

「大きな政府」は一部の人間の利益のために暴走するしかなくなってしまったのである。

アメリカは、
 原初的核家族にはありえないほどの政府の巨大化
 ②「上下」の分断による「左右」二項対立の無化
により、金融資本とCIAが暫定権威として幅を利かせる国家となった

おわりに

人種差別撤廃に向けた運動が白人の平等を揺り動かしたという悲しい事実を解明してしまったトッドは、次のように述べ、彼らの英雄的な努力に目を向けるよう促した。

‥‥このときアメリカのデモクラシーはその人種的な母体から逃れようと努めた。われわれは彼らの試みの英雄的側面を感じ取る必要がある。アメリカ史の文脈においては、これがまさしく天を衝こうという試みであったことを理解する必要がある。

『我々はどこから来て、今どこにいるのか』下・76頁、英語版 227頁

私も同じことをさせてもらいたい。
トッドだったら、こんな風に語るだろうか。

祖国を離れて新大陸に渡った彼らは、理想の国家を目指してアメリカを建国した。見事に成長を果たした後は、「偉大な社会」を求め、世界に冠たる帝国たることを目指した。われわれは、その英雄的側面を感じ取る必要がある。原初的核家族の彼らにとって、これがまさしく天を衝こうという試みであったことを理解する必要がある。

偽トッド語録

狩猟採集民のメンタリティを持ちながら帝国の建設を目指すという正に英雄的な試みの末、完全な寡頭制に陥ってしまったアメリカ。陰謀とかではなく、非常に合理的な過程を踏んで、(もちろん「ある程度」ですが)なるべくしてなった結末だと私は思う。

原初的核家族のアメリカで、巨大化してしまった政府が秩序を取り戻すことはありそうにないし、国民が一丸となって政府を倒すというようなこともありそうにない。

おそらく、比較的近年のうちに、ドルの覇権は崩壊し、金融資本とCIAの帝国は消滅するだろう。

その過程では、アメリカや日本はもちろん、世界中が相当な苦境を経験するだろうと予想はするけれど、それでも、私の気分は明るい(アメリカ I を書いた後とはずいぶん違うのだ)。

だって、それは、金(マネー)がすべてで、自分の領分を守るためには世界の半分を敵に回さなければいけないみたいな、このヘンテコな世界が終わるときなのだ。これが希望でなくていったい何だろう。

私たちがどう生きるかでこの先の世界は変わる。‥‥というのは、まあ、いつの時代も真実だが、それが、この超、ド、激変期に当たっているなんて、楽しい、としか言いようがないではないか。

ねえ、皆さん?

今日のまとめ

  • 建国当初のアメリカは、小さな政府しか持たず「裁判所と党派対立」でなんとかやりくりする国家だった。
  • アメリカは、南北戦争による「再統一」を経て中央集権国家に生まれ変わり、大戦後には巨大な政府を持つようになっていたが、家族システムは原初的核家族のままだった。
  • 巨大な政府を持つアメリカは、冷戦を経て、
    ①謎の金融支配力、②CIA等による秘密作戦の自在な遂行能力
    という恐るべき権力を手に入れた。
  • アメリカは、
    原初的核家族にはありえないほどの政府の巨大化 
    「上下」の分断による「左右」二項対立の無化
    により、金融資本とCIAが暫定権威として幅を利かせる国家となった。